Friday, December 16, 2011

American Tourist Visa B2, 米国B-2観光ビザ


Although it is a story of the last year, I have gotten the 10 years B-2 visitor visa of United States. Surprisingly, I could get it in just one apply to U.S. embassy in Japan. I was impressed that U.S. has a broad-mindedness for a kind of adventures.


10年有効な米国B-2観光ビザをアメリカ大使館に発給してもらっている。通常日本人がアメリカを観光する場合にはビザ免除プログラムで3か月まで入国できるのでそのようなものは必要ないのだが、来年春から予定しているカヌー遠征「オリンピア―東京」はその3か月間を超え、またそもそもが海上の国境をカヌーで越えての入出国には適応されないのである。

B-2観光ビザの取得方法を事前に散々調べたが、3か月もあれば十分観光には事足りるということで、ビザ免除プログラムが適用されている国に対してはよほどの理由がない限り発給されない、というような内容ばかりであった(アメリカ政府のドキュメントには単に申請できるとしか書かれていない)。またイギリスからからアメリカ・カナダへ渡ったカヌー遠征隊の手記には、海からアメリカに入国するためのスペシャルビザを在英国アメリカ大使館でとるためにとても苦労した、と綴られている。したがって提出書類の準備には相当の時間を割き、とくに遠征計画書は入念に書き上げたものの、何度も粘り強く大使館に通い続ける必要性と、最悪それでも発給されずビザ免除プログラムすら失うことを覚悟したうえで赤坂のアメリカ大使館に出かけたのである。

爆弾を積んで突入するテロの車を阻止するためであろう厳重なゲートの設備に威圧を感じながら、陽光射すアメリカ大使館前の歩道で1時間ほど様々な国籍の人々とともに列をなして入館のセキュリティーチェックを待つ。さらに大使館内で1時間ほど面接の順番を待つ。先に受けている人々を眺めていると、アメリカ大使館員が流暢な日本語で面接をしている様子も見受けられる。

さてとうとう僕の名前が呼ばれ、何を質問されるのかまったく分からないため気合の入れようもなく面接ブースへと歩いて行った。大柄な女性か100kgぐらいある背の高い男性かと無意識に想像していたが、アジア系で小柄な30代前半ぐらいの端正な女性だったので少々驚く。いかにも彼女はすらすらと日本語が話せそうであったので、仔細な話を英語ですることを避けるためにあいさつを交わした際に面接は日本語でよいかと尋ねてみたが、英語もろくに話せないようであれば彼女があらかじめ目を通していた遠征計画書の実行など到底無理だと考えたのか、出来る限り英語で話すようにと言われる。

アメリカ訪問の目的、予算は誰が出すのか、現在の仕事および帰国してからの仕事はどうするかなどの一通りの質問に、なるべく丁寧に誤魔化すことなく話していく。10分ほど経過したであろうか、さらりと何かを彼女に言われて一枚の紙を渡される。まさか一発で面接が通るとは思いもしなかったので彼女の言葉を理解するのに数秒かかり、やっと呑み込め呆然としながらブースを立ち去ろうとしたが、はっと我に返ると彼女に笑顔とアリガトウの言葉を返した。

実際の大使館事情を把握することは無理ではあるものの、感想を一言で述べれば、「さすがチャレンジ精神を称えるアメリカだなぁ」、となる。

Saturday, December 3, 2011

Exhibition “from River to Ocean”

I am participating in arts exhibition named “from River to Ocean” presented by Keiziro Suga Lab in Meiji University, as an exhibitor of movie work filmed a kayak expedition on Bekanbeushi River, at Kanagawa Japan from 3 Dec 2011 to 9 Jun 2012. Its website is here, “from River to Ocean”.

明治大学・管啓次郎研究室の展示会「川から海へ」に、映像作品展示で参加させていただきました。ベカンベウシ川カヌー遠征を記録した作品です。場所は小田急線生田駅、期間は12月3日~1月9日。そばを通り掛かった方は、ふらっと立ち寄っていただけると幸いです。素敵な場を提供して下さった菅啓次郎教授に感謝します。展示会のホームページは「川から海へ」です。

Friday, November 25, 2011

Roasting More Amount of Coffee Bean



I have roasted more amount of coffee bean than last time for around four cup of coffee. This time I could make tastier one including slightly nice sour!

失敗して無駄にすることを恐れずに、今回はさらにコーヒー豆の量を増やして焙煎に挑戦してみた。少し酸味のきいた前回よりも美味しいコーヒーとなり、大成功!4杯分ぐらいの分量かな。



Monday, November 21, 2011

Roasting Coffee Beans in a Frying Pan

It's my second challenge of  roasting coffee beans in a frying pan! Why have I had such a strange experimentation is just I want to drink a cup of coffee in the morning during the next kayak expedition! Since the trip duration is going to be around a half year in a vast remote area where I can not buy fresh coffee, roasted coffee beans or ground coffee bean for a half year should been oxidized...

The last try of homemade roasting coffee tasted strongly acrid... Why? The main reason is insufficiency to drain moisture of beans in the early stage of roasting.

So, this time, I took more than half an hour for roasting. Although such time was a little too much, with difficulty in adjusting heat, it did not taste acrid, and was delicious than coffee on the market!


フライパンによるコーヒー豆焙煎、二回目の挑戦。

なぜこんなことをしているのかというと、実は単純な話なのであるが、原野の中で飲むコーヒーは実にうまいので、次のカヌー遠征で毎日飲みたいのである。ところが人里離れた地域に半年もいるので、挽いてあるコーヒー豆どころか焙煎しただけのコーヒー豆を持って行っても、すっかり酸化して不味くなってしまうことだろう。ならば生豆を持って行って、都度焙煎するしかないのである。

そして何故にフライパンであるか。ゴマを炒る網とかの方がはるかに楽なのであるが、そんなゴマを炒ることにしか役にたたん物は旅の荷物としてはかなり邪魔なので却下であり、そこで汎用性の高いフライパンが登場というわけである。

前回の初挑戦ではものの見事に失敗して、渋くて飲めたコーヒーではなかったが、近所の西洋釣具珈琲店のマスターが、「たいていね、素人のうちは豆の水分を抜くことが出来なくって失敗するんだよ!」と教えてくれたので、今回はじっくりと時間をかけて焙煎してみる。ちょっと火加減が難しくって時間がかかり過ぎたけど、ムラなく焼けて、渋くもなく、そこらあたりで買ってくるコーヒーよりかはずっと美味いコーヒーができた!

焙煎を初めてから豆を挽いてドリップして飲むのに、なんと一時間もかかってしまったが、まあ優雅な週末の朝なのであった。

Friday, November 11, 2011

フライパンでコーヒー豆の焙煎


フライパンでコーヒー豆の焙煎に挑戦してみる。
 
油をひかずに生豆を直接フライパンに入れ、豆が跳ねて飛び散るのを防ぐためにアルミホイルで蓋をする。ごく弱火にしたガスの上でシャカシャカと小刻みにフライパンを揺らしながら、じっくりと時間をかけて熱していく。はじめのうちは匂いも煙も音もしないが、だんだんとコーヒー屋のいい香り、ごく薄い紫がかった煙、そしてパチン、パチンとコーヒーの繊維が裂ける第一ハゼの音がする。ここらへんからフライパンをさらに炎から遠ざけるべきだったが、第一ハゼが終わらぬままにすぐ第二ハゼのチリチリという音が聞こえてしまった。第二ハゼの音が終了する前に火から外し、アルミホイルの蓋を外してみる。
 
しっとりと自分自身の油に濡れた色っぽい艶やかな豆へと姿を変えていた。急速に冷やすために陶器の器に豆を移し替えて、豆を振り上げながら空気と混ぜる。

さっそく豆をひいて飲んでみよう。うむ・・・まあまあだ、だが少々エグイ・・・、ゴマを炒る網で焙煎した方が、旨い。熱が強すぎたせいか、フライパンの限界か。次はもっとゆっくり焙煎してみよう。
 
ご注意だが、試してみるときはくれぐれも何かで蓋をするように。前回蓋なしで焙煎したときは、跳ねたアツアツの豆の破片が目に当たって、目のすぐ下を少し火傷してしまったのである…

Tuesday, September 27, 2011

中秋の名月と富士の影, HDR



High Dynamic Range Imaging of Full Moon and Mt. Fuji.

ハイ・ダイナミック・レンジ合成、すなわち、暗い場所から明るい場所まで同時に写した(カメラより人間の目に近い、もしくはそれを超えた)写真。それによる、中秋の名月と富士の影。

Thursday, September 15, 2011

中秋の名月と富士の影


2011年9月12日、中秋の名月と富士の影。

人生二度目の富士登山をしてきた。高校生の時に自転車で登って以来である。人間の一生の時間など意に介さず、変わることなく孤高にそこに立ち続けていた。

写真家・冒険家の石川直樹さん、明大教授・詩人の菅啓次郎さん、芸術作家の豊島秀樹さん、編集者の内田真由美さんと、一泊二日で登頂。素晴らしい天気に恵まれ、二日ともに山頂付近は雲に覆われることなく快晴で、ほぼ風もなし。七合目で見た、雲の大地に落ちる巨大な富士の影と、宇宙空間のように透き通った大気を通して望む、影の山頂から登る鋭い中秋の名月が素晴らしかった!

それにしても、山頂付近では酸素が2/3程しかなくて登りの一歩一歩がとても重いのだが、石川隊長はトレーニングと称して急坂を短距離走のように一気に駆け登っていく!理解の範囲を超えちゃって、ああ、そうか、宇宙人だったんだ……と思えるほどで、これがエベレスト登頂の意味なのかと圧倒される。カッコイイデス……。

Sunday, July 31, 2011

北海道ベカンベウシ川カヌー遠征の35分フィルム

北海道ベカンベウシ川カヌー遠征の35分フィルムを作りました。

It's a new my kayak expedition film on the Bekanbeushi River in Hokkaido Japan, the last primitive River in the whole Japan,  for 6 day and 7 nights.


Monday, June 27, 2011

ベカンベウシ川 序


広大な湿原の中央で気儘に艶美に身をくねらせながら蛇行する川の、一つの曲がり目をカヌーで川下へと廻り込むと、川面に群れていた七八羽の白鳥に予期せず鉢合わせた。こちらもびっくりであるが、あちらもびっくりである。白鳥は一斉に飛び立ち去ろうとするが、なにせ飛ぶ鳥としては世界最大級の重量、飛行機のように長い距離を滑走しないと飛び立てない。進める方向といえば、川に沿って上流か下流だけ。何を思ったのか、より短距離で飛び立つために風上へ向かいたかったのか、こともあろうに僕の方に向かって滑走してくる。大きく羽ばたいてバァッサバァッサと空気を切り裂き、水掻きでバシャバシャバシャと水面を連打し、十キロを超える巨体が二メートル以上ある翼を広げて、七八羽が一塊となり激しい音を立てて僕に真っ直ぐ突っ込んでくるのである。ぐんぐんと白鳥の群れが迫る。あわやこのまま正面衝突するのではという距離まで近づくと、やっと宙に舞い上がり、僕のわずか数十センチ上空をかすめて白鳥の一群が後方へと飛び去っていく。その瞬間、地球と、地球が育む生命の躍動に、包み込まれ、飲み込まれ、時が凍結した。


五月初旬の北海道東部。まだ冬枯れたヨシやスゲで覆いつくされた低層湿原の中央を横切って、カヌーは流されている。川面に浮くカヌーからの視点は低く、岸辺に密生するヨシの先端は、カヌーに乗った僕の頭よりも高くて見上げた位置。湿原に細く長く刻まれた川の溝に、僕の姿は隠れてしまう。上陸してヨシを見下ろす高さまで上がらなければ、平らな湿原を遠く広く望み見ることができない。だが、人の営みが撒き散らす喧騒から逃れた森閑な湿原一面に、丹頂鶴の力強い鳴き声が響き渡れば、カヌーに乗ったままで目視できなくても、聴覚だけで、湿原の空間的広がりを感じ取ることができる。直接耳に届く鳴き声の距離感覚と方向感覚、反響音の距離感覚と方向感覚が、頭の中で立体的な空間を描き出すのだろうか。ヨシの茎が反射する微細な音の位相までが、静寂の中に浮き上がり、空間認識を司る脳細胞のフィルムに緻密な立体像を焼き付けるようだ。空間の広がりを感じる喜び……視覚で広がりを感じる喜びは、すでに手に入れている。聴覚で広がりを感じる喜びも、いま此処に手に入れた。次は、嗅覚で広がりを感じる喜びを、もし手に入れることができるのならば、ヒグマが見る世界の風景を、その喜びを知ることができるのだろう。

湿原は見渡すかぎりわずかな丘も、背丈ほどの起伏すらなく、湖面のように平らだ。地表面まで冠水しており、踏み入ればずぶずぶと足が泥炭に沈み込む。その昔、浅い沼に茂ったヨシやスゲの植物遺骸が、あまり腐らず堆積して泥炭となり、やがて沼を埋め尽くして湿原となった。ヨシやスゲは、自らの亡骸を大地として、繰り返し芽吹き再生し続ける。地形面と地下水面が一致した、何処までも水平な大地の広がりに、昔の沼の面影を残しているのだ。

真っ平らな湿原で腰より高いものといえば、数本だけ寄り添いごく僅かに点在する樹木だけ。空を遮るものが何も無い。前を見ても、後ろを見ても、右を見ても、左を見ても、果てしなく水平に広がるヨシの原と、上に重なる薄い森の層と、青い空。空は欠けることなき美しい半球となり、イデアを成す。広大な湿原の何処までカヌーが流されようとも、空は、世界の上半分を圧倒的に独占している。

飛翔を妨げる山や丘や木立すらない水平な大地の上空は、曲芸飛行には打って付けの空間だ。オオジシギが、この湿原で一番激しい求愛の舞を披露する。五十メートルほど上空を飛びながら、ひとしきりジュジャー、ジュジャーと、ヒョウタンの刻みを棒で擦るように叫んだあと、一転してブァブァブァブァブァと激しい羽音を空一面に響かせながら、地表近くまで急降下する。音が空間を上下左右に乱舞する。なんという型破りな愛の表現だろう。昼夜構わず飛び回る。初めてこの空気を切り裂き空から落ちてくる奇怪な音を聞いたときには、いったいどんな生き物が何事を始めたのかと、ずいぶんと驚いて、長いこと空を見上げ姿を探し求めたものだ。今ではすっかり慣れ親しんで、夜の野営地でオオジシギの羽音が一晩中響いていたほうが、かえってテントの中で安らかに眠れるが。

鴨の群れは、さらに高い空を悠々と横切っていく。彼らなりの、風を切り飛行することを知らない僕には知り得ない動機で、隊形や方向を絶え間なく変えるのを眺めているだけでも、色々と想像を掻き立てられて実に楽しい。

丹頂鶴が頭上を飛び去るのは、鮮烈な体験だ。飛翔体の機能美を超え美学を追求したような流麗な姿で、コウッ、コウッ、と目の覚める鋭い輪郭の鳴き声を響かせながら、上空を優雅に通過する。純白と漆黒のコントラストが美しい。たった一羽の飛翔であっても、その存在感は圧倒的である。あの細く長い喉に木管楽器でも飲み込んでいるかのような力強い鳴き声で、その瞬間、湿原を行き届かぬところ無く支配してしまう。丹頂鶴が呼びかける響きの強さに精神が同調してしまうのか、僕の意識も束の間さらわれる。神々しいほどに美しい姿と声に、空を見上げ口を開けて陶然とする。

空から湿原に視線を落としてみれば、色とりどりの小鳥達が、ヨシの細い茎に掴まりながら賑やかに囀り、茎から茎へと軽快に飛び回る。まだ葉のない冬枯れのヨシ原では小鳥の姿があらわで、野鳥観察には最適だ。僕が近づいても、驚き逃げることがない。人間におびやかされた経験がないからなのだろうか。また、漕がずに、一滴の音も立てずに、ただ倒木のように流れるカヌーには、気が付いてはいるものの逃げ出すほどの驚異は感じないのだろうか。双眼鏡など使うまでもなく、その愛くるしい小さな姿と可憐な歌声を、目の前で惜しむことなく披露してくれる。しかもだ、カヌーはゆっくりと川下へ流されているので、次から次へと舞台が移り変わり、歌い舞う小鳥達のキャストも入れ替わる。小鳥の楽園。小鳥達が祝福している?何を?僕を?僕を何処かへ導いてくれるのか?そんなおとぎ話のような夢見心地の発想が思わず浮かび上ってしまう、小鳥達の天使のような愛らしさ。


カヌーはチェコ製、全長3・8メートル、幅75センチのヘリオス380。一人で持ち上げられる重量。水色と薄いイエロー。前後に席が連なる二人乗りだが、前席にはキャンプ道具と食料を隙間なく詰め込み、自分は一人後席に座る。インフレータブルカヤックという、カヌー全体を空気で膨らます、波が猛り狂う急流下りなどで威力を発揮するタイプだ。船底も、舟縁も、梁も、背もたれさえも、全てのパーツが厚く丈夫な樹脂シートの気室で造られており、足踏みのエアポンプで空気をパンパンに充填して強い張りを持たせる。空気の優れた断熱性と弾力のおかげで、カヌー全体がエアマットのように柔らかくて暖かい。

パドルはカヌーの上に横たえ、ただ落ちないように片手で軽く掴んでいるだけだ。もう水に差し入れ漕ぐことはしない。革張りのソファーに似た心地よい弾力の背もたれに、深々と頭まであずける。ヘリオスの背もたれは、まるで漕ぐためではなく、気持ちよく寝るためにデザインされたようで、仰向けに寝転がると実にしっくりとくる。両足は、前席の背もたれに高々と投げ出す。これは一回り大きい枕といった形で、足を乗せれば、これまたフットレストとしてデザインされたかのような快適さだ。両手を舟縁りに乗せれば、高さと弾力が肘掛けとして調度よい。カヌーに、寝風呂のイメージでも重ねてもらえれば適当か。全身の力を抜いて仰向けに横たわれば、休日の散歩のように穏やかな川の流れが、カヌーのゆり篭をゆらゆらと優しく揺するのが気持ちいい。春の柔らかな日差しは、羽毛よりも暖かくて軽い掛け布団のよう。目を閉じれば心がとろけ、そのまま夢の世界へといざなわれる。母なる地球に抱かれた、世界一心地良いベッド。

本来、カヌーとは休みなく漕ぎ続けるものだ。さもなければいずれ転覆してしまう。パドルを漕いで、右へ左へと不規則に廻り込むカヌーの舳先を、進行方向へ真っ直ぐ向くように修正する。水面上に露出した岩だけでなく、水面下に潜む隠れ岩も、ぶつからぬように回避する。一見すれば一様に見えるが、実際は場所によって複雑に異なる水の流れを選び移動する。砂や小石が堆積した浅瀬を、座礁しないように避ける。波が荒れる早瀬の手前で、水の流れを読みコースを決めるために、流れに逆らい停滞する。カヌーは横から波を受けると転覆するので、波は常に垂直に受ける。強く漕ぎ、前に進む力で、波に翻弄されるカヌーを安定させる。細かいパドル操作で、襲いかかる波を乗り切る。

川が濃密な原生林を蛇行しながら流れている上流域では、根元の土を水の流れに削り取られた川岸の樹木が、川に倒れこんで川幅いっぱいに流れを塞ぎ、次から次へと頻繁にカヌーの行く手を阻んでいた。どうにかこうにか工夫してその障害物を乗り越えなければ、まったく先に進めない。何も手立てを講ずることができないままに突っ込んでしまえば、倒木に引っ掛かり水の流れに逆らって静止したカヌーには、恐ろしいほどの水圧が伸し掛かり、ひっくり返されるか折れ曲がってしまうだろう。パドルを漕ぐ手を休めている暇がない。

だがいま、カヌーは上流域を抜け、中流域の広大なベカンベウシ湿原に入っている。低層湿原では樹木がほとんど育たないため、川を塞ぐ倒木がない。ヨシやスゲと、その亡骸の泥炭だけで埋め尽くされた湿原には、川岸にも川底にも衝突するような岩がない。岩どころか石ころすらない。お盆のように平らな湿原では、どこもかしこも川の流れはゆっくりと同じ速さで流れており、早瀬を警戒する必要もない。腰の高さほどに水面から垂直に切り立つ川岸には、ヨシと柔らかな泥炭だけが露出していて、インフレータブルカヌーが衝突しても、衝撃もなくやんわりと押し返すだけだ。命に関わる、最も危険な堰や防波ブロックや橋脚などの人工物は、当然ない。カヌーを漕いで障害物を避ける必要は、もう一切ないのだ。無防備にカヌーを川の流れに委ね、たとえ後ろ向きに流されようが、進行方向に待ち受ける障害物を気にして振り向くこともなく、ただただ流れ行く景色にうっとりと見とれながら、漕がずに寝そべっていられる。

心底安心してカヌーの上で寝こんでしまえる川は、ここ以外には知らない。カナダのユーコン川では、全長三千キロメートルの大河ゆえに、流れは早くても水面は湖のように穏やかで、やはり昼寝を楽しむことが出来た。しかしながらも、川岸の何かに引っかかって転覆する可能性を完全には否定できずに、まどろみながらも、気になり時たま起き上がっては周りの様子を確認していたものだ。この川のこの湿原を流れるカヌーは、南の島で椰子の木にぶら下がったハンモックに勝る、世界で一番昼寝をするに気持ちのいい場所である。

昼寝をするに世界一ならば、ビールを飲むにも世界一である。船底に転がっている、引掻き傷と凹みと泥で汚れた生ぬるい缶ビールを取り出して、プシュッと心地良い音を立てプルトップを開ける。まずは、川の神様に捧げるために、ベカンベウシ川へと注ぐ。旅の無事を感謝します。カヌーにもかけて労をねぎらう。お疲れさん、ありがとう。一口飲み込めば、喉を通過し、胃に入り、腸で吸収され、血管を通して体中に満遍なく行き渡り、全身の細胞がうまいうまいと喜んでいるのが分かる。不思議なことに、すでに深い原野の自然に酔いしれているためか、缶ビールのたった三分の一も飲めば、此の上ない酔い心地になってしまう。都会の洒落た店で飲むキンキンに冷えた生ビールなど、まったく話にならない。ここで飲む、この生ぬるい汚れた缶ビール、こいつのほうが百倍はうまい。世界最高のビールである。


ただのんびりと寝そべるだけでパドルをまったく漕がないので、カヌーは笹舟のように流されている。カヌーは水の動きに素直に従う。本流に乗れば滑るように流れ、よどみに入ってはしばし停滞する。川岸に接触しては、柔らかく跳ね返される。速さの異なる流れを跨げば緩やかに回転し、先程まで右を向いて流されていたかと思えば、今度は後ろ向きに流され、次は左向きだ。寝転がったままで、首を回して景色を見渡さなくても、僕を取り囲む景色の方が回転して360度の大パノラマを展開してくれる。しかもだ、カヌーは川下へと移動するので景色はゆっくりと移り行き、この地球規模の回り灯篭は、刻一刻とその絵柄を入れ替えていく。移動のために体を動かすという行為から完全に解放されて、僕の全ての精神活動が、この流れ行く壮大な自然を、目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、肌で感じることに注がれる。もはや僕のちっぽけな思考など巡る余地がなく、心が空白になり、ただただ一日中、圧倒的な感動が次から次へと頭の中に流れ込む。

目に映るのは、薄青色を拡散する大気と、白いちぎれ雲、空を写す岩も早瀬も起伏もない川面、湿原を覆い尽くす冬枯れ色のヨシ、ただそれだけ。大気の粒子が反射した光、雲の水滴が反射した光、それら反射光を水面が反射した光、ヨシが反射した光。薄青色、白、冬枯れ色。それら反射光だけに満ち溢れた空間は、カヌーやザックや衣服などの此処とは異質な色彩で構成された僕と、僕の付属品を、色温度の異なるフィルムで撮影した写真のようにどこかずれた色合いに変え、旅を続けるうちにふと異なる時空へと迷いこんでしまったかのような錯覚をもたらす。それとも東京の生活が錯覚だったのか。

見上げれば空が流れている。輝く雲と澄んだ風が、淡い青色のキャンバスを背景にゆっくりと流れゆく。空も流れるが、僕も流れている。そう、高い空から見下げれば、熱帯雨林の鳥のように派手な色をまとった、ちっぽけなカヌーに乗ったちっぽけな僕が、薄茶色の湿原を蛇行する、青空を反射した一本の川筋に沿い、ゆっくりゆっくり流れていく。

Monday, May 23, 2011

熊くん、この広大な湿原で、いったい何を求めて歩いているんだい

今年5月5日子供の日のベカンベウシ湿原にて。

くっきりと残る足跡を辿って、川岸に沿う獣道を進んだ。ベカンベウシ川は、湿原の中央を右に左にと気ままに艶やかに身をくねらせながら、奥へ奥へと続いている。踏み入れば足がずぶずぶと沈み込む湿原の泥炭を避けて、獣道は川岸を離れることなく遥か湿原の端まで続いていく。

熊くん、この広大な湿原で、いったい何を求めて歩いているんだい。君の食料になるようなものは、このヨシやシゲだけが群生する大地には何も見あたらないのだが。もしかして、僕がまだ君の視点に立てないでいるだけなのか。できれば僕に色々と教えてくれないか。

湿原を埋め尽くすヨシが、もう夕日で赤く染まり始めた。テントに戻ろう。ここ数日の雨にもかかわらず今だ土に鋭く型どられている爪跡からして、君がここを通過したのは、今日か昨日か一昨日か。このベカンベウシ湿原の時間と空間をまだ僕と共有しているのだろうか。君の存在を感じながら、焚き火を起こし、星を見上げて、鶴の声を聞こう。

君は、川沿いの獣の道を、川下へと歩いて行った。僕は明日、君と同じ方向へ、川の道をカヌーで下る。もしかしたら出会うかもしれないな。その時はお互い「ヨウっ」てさりげない挨拶だけ交わして、気兼ねなく淡々と自分の仕事を続けよう。



Wednesday, April 27, 2011

最低気温は摂氏0度、最高気温は摂氏30度

北海道は別寒辺牛川でカヌーをするために明日出発するが、ここ1週間ほど毎日想像力を駆使して荷物を準備している。これも楽しい一時だ。6泊7日をかけて川を下るので、キャンプ道具と食料、遊び道具を合わせればかなりの量になり、小さなサンドバックのような見てくれの防水バックを4つほど必要とする。毎度のことで慣れているとはいえ、万が一忘れ物をしても森や湿原の中ではコンビニどころか田舎の雑貨屋も民家すらないので、準備にはかなりの時間をかけて、ありとあらゆる状況を想像しながら荷物を増やしつつも、カヌーで倒木を超える際に邪魔にならぬようできるだけ余分を削っていく。

一番嵩が張っているのは衣類である。なにせ、ゴールデンウィークにおける別寒辺牛川での過去2回の経験では、最低気温が雪を伴う摂氏0度、最高気温は摂氏30度なのである。真冬の防寒着と、川に放り出されて全身濡れ鼠になった場合の予備の服と、真夏のような暑い日差しの中で汗を書いても快適な服装が、防水バックへぎゅうぎゅうに押し込まれていく。

濃厚な四季が別寒辺牛川にあるのだ。摂氏0度の真冬から摂氏30度の夏の日差しが、森と湿原の原野に同居している。都会で感じる体に酷な寒暖の差の激しさ、というものはそこにはなく、まるで動物が一枚の毛皮だけで四季を通すような気持良さだけが心を喜ばす。


Saturday, April 23, 2011

別寒辺牛川へ

来週から始まるゴールデンウィークを使って、北海道の別寒辺牛川へカヌーの旅に出かける。野営しながら6日間かけて上流から下流まで下り、東京から川までの往復にフェリーを使って4日間、計10日間の旅である。

北海道の東に位置する別寒辺牛湿原を流れる別寒辺牛川は、日本最後の原始の川だ。川は人間に一切妨げられることなく、湿原を、森をうねり、自分の意志で自由自在に進路を変える。鳥と魚と植物の楽園であり、丹頂鶴や幻の魚イトウや行者ニンニクがその懐に抱かれている。自由自在に流れを変える川が両岸を削り取るため無数の倒木が川に横たわり、この川をカヌーで下るということは、カヌーを倒木の上に引きずり上げ、倒木の下を無理やり潜らせることであり、僕達以外にこの川を上流からカヌーで下る人間などいないであろう。同じこの別寒辺牛川でイトウを研究している友人は、僕のことを変態カヌーイストと称してくれる。

今年でもう三度目となる。何度旅をしても魅力がまったく薄れることのないこの別寒辺牛川の記録を、旅から帰ってきたら是非とも書き記そう。この川だけは、僕が爺さんになってカヌーで下れなくなるまで、百年後まで、地球が宇宙の塵となるまで、人間の手が触れることなくこのまま生き続けてほしいのだ。

Monday, April 4, 2011

サバニの帆

グランドストリームの大瀬志郎さんを訪ねて、琵琶湖の北西岸にあるマキノ町へ行く。湖岸にある小さな集落のメインストリートから逸れて細い脇道をわずかに登ると、所狭しとカヌーが詰め込まれた築100年は経っているであろう黒光りする古民家が目に飛び込んできた。見せていたたげないかと事前に連絡しておいたホールディングカヤックは、蹴飛ばせば1メートルほど下の畑に落ちてしまう道路脇にすでに二艇並べてあり、長髪の日焼けした顔とがっしりとした体格をもつ大瀬さんが、誰かが何かの配達にでも来たのかと家からひょっこり出てきた。

琉球の伝統的な船であるサバニの帆をホールディングカヤックに立てたマストに取り付け、時折強く吹き付ける風に帆をばたつかせながら、西洋のいわゆるヨット型の帆と比較してのその扱いやすさを熱のこもった言葉で彼は語る。このカナダ製のカヤックにはヨットと同じ構造と素材で作られた三角形の帆が標準オプションとしてあるため、僕の頭の中ではヨット風のイメージがすっかり形作られており、布と竹で作られた凧のような純和風の帆が西洋のアルミと原色の樹脂シートで作られたカヤックに取り付けられたとき、初めはどうにも異質に思われ、ただ単にヨット型の帆に飽きた場合の遊びとしての選択肢の一つ程度のようなものと思われた。しかしながらも、凧のような素材で凧のように扱うサバニの帆がいかにカヤックと相性が良いか彼から説明を受けているうちに、フムフムなるほどと頷きながらすっかり以前のイメージは影を薄めていった。

寒風を避け土間に置かれた木のテーブルでコーヒーをすすりながら、島国日本で生まれた誇り高き航海術の一つであるサバニを誇り、国境のない広大な海で過去様々な地域の航海術が混じりあってきたように、今また自分が北極圏で生まれたカヤックと琉球で生まれたサバニを融合させる役割を演じる喜びを語る彼の話に、僕はすっかり魅了されてしまった。