Saturday, October 10, 2015

倒木越え





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 ベカンベウシ川を前回下ったのは五年ほど前か。川の様子がだいぶ変わっているように見える。以前には見られなかった場所にカヌーの行く手を塞ぐ倒木が横たわっていることがあるが、その程度の変化はとくだん驚くことでもない。水の流れが川岸の土をそこに生えている木の根ごとゆっくり削り取りるので、その木が丸ごと川に倒れ込んできているのが、誰が見ても明らかだからだ。しかし記憶にない小島が川の中央に突如現れると、さすがに驚く。
 土砂が堆積してできた島ではないので、中州とは呼ばない。周囲をぐるりと水にえぐり取られた大地が、川の真ん中に取り残されているのである。車一台が止まれるほどの広さで、両岸の地面とまったく同じ高さの島だ。カヌーから見ればそこで川が左右に分かれていて、どちらを通るかは気分次第である。
 深く延びた大木の根が土を抱えて、水の流れに浸食されるのを拒んだことで、そこだけ島のように取り残されたのだと思われる。
 僕が来るたびにその姿を変えているベカンベウシ川。この川はまさに生きているのである!自由気ままに生き生きと、川ほんらいの動きを楽しんでいるのだ。龍神は雲を突き抜け大空を踊り、川に戻れば大地を踊る。
 
 出発してからまだ三十分ほどしか経っていないが、太い倒木がさっそく右岸と左岸をまたいで横たわり、カヌーの行く手を完全に塞いでいた。カヌーに乗ったままでは通過できない。
 倒木越えをおこなう。これがベカンベウシ川の醍醐味である!
 まずは倒木にカヌーを横付けする。しかし港で船を岸壁に横付けするよりも、さらに複雑なテクニックが必要とされる。倒木の下へと潜り込む水流が、カヌーを水中へ引きずり込むからである。その力とうまく均衡をとらなければ、カヌーは転覆してしまう。
 横付けしたならば、カヌーを転覆させぬよう上手にバランスを取りながら、手足とパドルを駆使してそろりそろりと倒木の上に這い上がる。静水であってもカヌーはその上で立ち上がることはできないが、いまは加えて水流に引きずられているので、ちょっとした重心の移動ですらひじょうに不安定で、簡単にひっくり返ろうとする。
 倒木に乗ったあとは、その倒木が川の上にただ浮いているだけではないか、そうではなくても、体重をかけると水に沈み込んでしまわないか、しっかりと確認する。川に落ちてしまわぬように。
 倒木の様子をよく観察し、カヌーをどのようにして下流へと移動させるか、すなわち倒木の上を通すか、それとも倒木の下を通すか考える。
 そして倒木という足下が不安定な場所から川へと転げ落ちぬように神経を張りつめながら、三週間もの食料を積み込んで二人がかりでも持ち上げられぬ重いカヌーを、どうにか一人で倒木の上へと引きずり上げて、反対側へと移動させるのだ。具体的には、まず倒木に対して平行に浮いているカヌーを、手で押したり引いたりしながら倒木と垂直になるよう移動させ、カヌーの先端を倒木の上に引っ張り上げる。そして上流を向いてカヌーの上に跨がる。倒木の上で両足をしっかりと踏ん張り、股の下の掴み所のないカヌーを両手ではさみ、えいやっと勢いをつけて全身の力で持ち上げつつ後方へと数センチ引きずる。何度も何度もこの動作を繰り返して倒木の上でカヌーを引きずり、じりじりと下流方向へ移動させるのだ。
 どうにかカヌーを倒木の下流に押し出し浮かべたならば、水に落ちぬようにカヌーへ乗り込む。またはそれが出来ぬならカヌーに飛び乗る。むかし相棒の聡とこの川を下ったとき、彼は飛び乗りに失敗して雪解けの凍えるような水の中に落ちたことがある。今回は単独行であるから、できるならば水には落ちたくないものだ。
 
 夕方四時に出発し日の入りは五時なので、三十分しか漕がないうちに時間切れとなった。上陸できる場所を見つけて陸に上がると、野営地として最適かどうか吟味する間もなくテントを設営する。

 玄米を初めて鍋で炊いてみたがとてもうまくいった。蓋を開けてみると、なにやら炊き上げた玄米に深い穴が数個開いている。なんの根拠もないのだが、上手に玄米が炊けたよ!という印のように見えてくる。
 米は秋田産だがベカンベウシ川の水で炊いたので、ご当地グルメだ。いやご当川グルメだ。
 川の水で煮炊きをすると聞くと抵抗を覚える人がいるかもしれない。しかし東京の水道水がどこから取水しているか知っている人ならば、この川の流れている場所を聞いて、それならそちらの方が旨かろうと納得することであろう。北海道の水は煮沸消毒かフィルターを通さなければエキノコックスの懸念があるが、煮炊きに利用するのならば煮沸消毒と同じことである。
 テントを張っているうちに日が暮れてしまったので、焚き火でおかずの調理が出来ず、今晩は玄米と梅干しだけであるが、この玄米、噛めば噛むほどうま味がでて、これだけで十分に心が満足している。アウトドアをする人間としては、日本人として生まれてきてこの面では幸いなのかもしれない。アメリカで四ヶ月に渡りキャンプ生活をした時、アメリカ人にすすめられた、アウトドア用として売られているものではない、軽くて日持ちのする食品は、ベーグルとピーナッツバターであった。さすがにそればかりを朝昼晩と毎日食べればイヤになってくるだろうし、栄養バランスもあまり良くなかろう。くらべて玄米は、炊飯するために燃料は消費してしまうものの、日本人が食べるのであれば毎日三食こればかりを食べていても、もう見るのもいやだということにはならないだろうし、栄養価的にもベーグルより高いことは間違いなさそうだ。

 けーんけーんという鹿の鳴き声が森に木霊し、草木を踏みならす音がテントの周囲を移動している。見分けがつかぬ動物の気配も闇に動く。空を覆う枝の間に星が瞬いている。


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