2015/10/14

倒木越え
















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 秋の夜長という言葉があるが、見方を変えれば、秋の昼は短いのだ、ということを実感してる。
 まだ時折雪が降る早春の頃、四月の終わりから五月の始めにかけて、いままでに三回この川に来ている。気温はその頃と比べてあまり変わらない。しかし日が昇っている時間がその頃よりかなり短く、野営地から次の野営地までの移動がより慌ただしいので、なるほど秋の昼は短い、と実感してるしだいである。
 そう、日の出が5時31分で、日の入りが16時42分だから、一日の半分以上が夜なのである。
 気温が同じなのに春と秋で日中の長さが違う。なるほど、これも地球の物理だと感心する。地表は暖まりにくく冷めにくい。日射量が増えても地表はなかなか暖まらず、だから日が長くなってもなかなか春は来ない。そして日射量が減っても地表はなかなか冷えず、だから日が短くなってもなかなか秋は来ないのだ。実感実感である。
 都心にいると日中の長さはあまり生活に影響しない。だからその変化を感じ取ることはまれだ。しかしここ原野の生活では、太陽という照明がなければ、カヌーを漕ぐのも、焚き火用の倒木を探すのも困難な作業になるので、ほぼ全ての活動を日中にこなさなければならない。それだけではない。日が落ちたとたんに気温が急降下するので、日中は長袖シャツと雨風をふせぐジャケットだけで過ごせていたのに、フリースとダウンジャケットまで着込む寒さになる。だから基本的に夜は、焚き火と天の川を楽しむか、寝袋にくるまって横になり周囲の動物の気配や睡眠を楽しむだけの時間なのである。
 その点、僕の周りで夜中でもがさごそと活動している動物達が羨ましい。ヘッドライトを点けることもなく、着替えをすることもなく、平然と昼も夜も変わらず行動してるのである(実際のところ彼らがどのように感じているのかは知る全てもないが)。
 野営地から次の野営地までの移動がいつもより慌ただしいというのは、カヌーを漕げる時間がより少ないからである。
 朝起きてから、身支度を整え、食事を作って食べ、食器を洗い、荷物をパッキングし(キャンプとカヌーに必要な道具一式はかなり多く、六個の防水ザックが必要だ)、テントを畳み、荷物を運んでカヌーに積み終えるまで、三四時間かかっている。そして日が沈む二時間前には漕ぐのをやめて上陸し、まだ明るいうちにテントを張って、薪を拾い集め、食事を作り終えたい。昼飯の時間も勘定に入れなければならない。だから、日が射している時間は十一時間しかないというのに、それらを引いたら、カヌーを漕げる残り時間は少ない。
  
 今日は倒木越えを十回以上はこなした。ベカンベウシ川名物の倒木越えである。
 倒木の上に登ることは不安定で危なっかしい。倒木が水の上にただ浮いているだけなのに気づかず、手か足で体重を預ければ、川に転落する。また一見安定しているように見えて、体重をかけるとしなって沈み込むこともあるし、腐りかけていてばきばきと折れることもあり、やはりどちらもバランスを崩して川に転落する。倒木はぐらぐらしているのだ。そろそろと手足の一挙動をすべて試しながら、木登りよりも慎重に行動しなければならないのだ。しかしながらかなり意識的に注意を向けなければならないので、体が無意識に地上と同じように体重をかけてしまうこともあり、シーズン初日の倒木越えはひやっとすることが多い。なれてきて気が抜けた頃も同様だ。
 その不安定な倒木の上に不安定なカヌーから乗り移るときが、また転落する可能性がとても高い。その逆もしかりで、不安定な倒木から不安定なカヌーに乗り移るときもまた転落する可能性が高い。中国曲技団のような技能を要求される。ましてやカヌーの長さは三メーターほどもあり、自分が座っている場所を倒木の横につけられない場合も多い。その場合はぐらくらするカヌーの上をずりずりと這っていかなければならないし、這っているうちにコントロール不能なカヌーがどんどん流されていくこともある。
 倒木を発見するごとに、毎回形が異なるそれを今回はどうやって越えるか、頭をフル回転させてパズルを解くのである。
 川底の砂や泥に足がつける場所もままあるので、そこではいくぶん倒木越えは楽だ。しかしそうは問屋が下ろさないとでもいうべきか、倒木の周囲は水流がとても複雑で、その複雑な水流が土砂を掘ったり溜めたりしているので、一メートル単位で川底が急に深くなったり浅くなったりしている。なので確実な浅瀬でもないかぎり、川底に立つのは怖い。突然の深みにどぼんと沈んでしまうかもしれない。
 今日もやはり何度もひやりとした。まあここではそれが普通なのではあるが、今回は単独行なので、なるべくなら水の中に落ちたくないものだ。かなり冷たいし。
 倒木越えは大変である。そして倒木越えはアスレチックジムのように楽しいのである!
 
 春先に比べると魚影が多い。背中が黒い十センチほどの魚が、カヌーが近づくとさっと逃げる。
 釣り道具は持ってきていない。健太郎君に相談したら、食べるために魚を取るならば、釣り糸を垂れるよりタモを使った方が効率がよいとのことなので、代わりに川岸をさぐって小魚を取るための網を持ってきている。

 丹頂鶴がこうこうと鳴きながら、六羽の群で上空を飛び去った。青空に編隊を組むシルエットが美しい。

 小鳥が多い。あまり人間を怖がらず、近くまで寄れる。三メートルほどまで寄っても平然としていることもある。

 雄鹿がカヌーを見るために川岸へ姿を現した。立派な角を持ち、顔つきが雌鹿と異なり威厳が漂う。その威風堂々とした態度に、いわゆる北海道の鹿とは違う種類の何者かが現れたのかと、つかのま驚いてしまった。向こうからこちらに近づいてきて、十メートル先の川岸からじっと睨みつけてくる。出て行けと言っているのだろう。雌を二匹つれていた。

 今日は自由気ままに蛇行する川を、川筋にそって3.4キロメートル移動した。自由気ままという言葉の通り、180度ターンはざらである。蛇行が生み出す三日月湖も現れた。

 焚火牛肉(僕はそう呼ぶことにした)と玄米を晩飯に食らう。そのとき
蛙の珍客あり。残念ながら彼をもてなす食事はなかったが、こんな場所への来客とはうれしいものだ。


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