Thursday, October 22, 2015

こんじきの原









 夜明け一番に活動を開始するのはゴジュウカラだ。葉の落ちた裸の枝から枝へとせわしなく飛び回り、熱心に木肌を突いている。どこに虫がいるというのか僕にはとんとわからないが、ゴジュウカラの視点に立てば、そこにはちゃんとご馳走があるのだろう。

 氷点下ですべてが凍てついている朝は、手がかじかんで出発準備もままならず、何をするにも倍の時間はかかっている。だが朝日が体に当たって暖かさを取り戻すと、春を迎えて冬眠から目覚めた蛙のような、とても幸せな気分になれる。

 今日からベカンベウシ川の中流部へと入った。上流部では広葉樹林が主体であったが、ここからは広大なアシの湿原を川が蛇行する。
 湿原はもう一面がアシだけで埋め尽くされていて、樹木は湿原を横切る川の岸辺だけにごくわずか、たまに一本から数十本単位でぽつんぽつんと立っているだけだ。川へと倒れ込む岸辺の樹木がほとんどなくなるため、川を塞ぐ倒木の数も上流と比べてぐんと減り、カヌーはほとんど、ただ浮いて川に流されているだけか、のんびりと漕いでいるだけでよくなった。
 かさかさかさと風に揺れるアシの音、そしてころころころと湿原から川へと流れ落ちる水の音だけが大地に響く。かさかさかさという音、ころころころという音、アシ、水、雲一つない青空だけが世界に存在するすべてだ。下れども下れども、かさかさかさと、ころころころと、アシと、水と、青い空だけなので、時間の流れも空間の広がりも、もはや意味を失っていた。
 両岸には、悠久の年月をへて堆積したヨシから生まれた土が、むき出しの壁となってどこまでも続いている。その土壁は水中まで垂直に切り立つ。土壁の上部には、ヨシの茎と根で出来たひさしが、茅葺きの屋根のように張り出している。
 カヌーを岸に着けて上陸することはできない。
 しかし、湿原に蓄えられた水がちょろちょろと川へ流れ落ちている場所がところどころにあり、その一カ所で、土壁が崩れてカヌーのお尻だけ入り込める小さな入り江となっているのを発見した。足付き場となるような場所はないが、無理矢理上陸を試みた。
 どこまでも平たく起伏一つない大地が、世界の果てまで、こんじき一色に輝いていた。
 自然も人間も超越したような美しさだった。銀河系を遠くから眺めているような。均質な黄金色に輝く、幾何学的に完全な平面。イデアの大地。
 この場所で昼夜を過ごしてみたいと思った。金色の原に浮いて寝たいと思った。
 テントが張れそうな場所を探し回る。しかし長靴をぐっと踏み込めば水が染み出すのは、右も左も前も後ろも、どこに行っても変わることがなかった。これではテントがわずかながらも水没してしまう。あきらめるしかなかった。

 今夜は川のすぐ脇二十センチの場所にテントを張った。対岸には広大な湿原が広がっている。その湿原の中の、僕からたった二十メートルほどしか離れていない場所で、じゃぼじゃぼというかなり大きな音をたてながら、何かが歩き回り始めた。背の高いアシに隠れて、その動物はなかなか姿を現さない。だがやがて、白い頭がちらりと二つ見えた。丹頂鶴だった。全部で三匹ほどいる。
 今日の昼に湿原の中を探索したとき、網の目のように獣道が走っているのを見て少し驚いたが、なるほど、丹頂鶴が歩いた跡なのかもしれない。
 目と鼻の先でじゃぼじゃぼと歩き回る丹頂鶴。写真を撮りに来た場所で、朝靄のなか愛のダンスを踊る美しい理想的な丹頂鶴を目撃したわけではない。しかしなにかこう、泥臭い生活臭の漂う生の丹頂鶴と息を共にしているのであって、それを今いたって嬉しく感じているのだ。

 その対岸の湿原で、ぎゅうわおーという毎晩聞く雄叫びがまた響き始めた。「いったいなんの動物だろう。熊のように恐ろしげな鳴き声だが、熊にしては甲高いような気がするし、あちらこちらで鳴いているのが聞こえる割には、熊の足跡は水飲み場にまったく見つからないし」と、不思議に思っていた鳴き声である。
 湿原の中から聞こえてくるのだ。熊のような大型動物が、足を踏み込めばズブズブと水が染み出すような湿原に、何かの用事を持っているとはなかなか思えない。また、対岸だけでなく、いま同時に十カ所以上で鳴いているのだから、僕の近隣に熊が十匹以上もいることになってしまう。それではたまったものではないし、そんなこともありえないだろう。
 だとすれば、これは丹頂鶴に違いない。丹頂鶴はこうこうと鳴くか、ぐわぉぐわぉと一団で鳴き交わすかのどちらかだと思っていたのだが。「もしかしたら陸上の動物ではなく鳥だったりするのかもしれない」などとは考えていたが、それにしてもまさかの展開である。
 しかし丹頂鶴とは、その端麗な姿とは似つかわしくもなく、なんと不気味な声で鳴く動物だ・・・・・・
 でも本当に丹頂鶴?うむ、確たる証拠はない。なにせその声で鳴いている動物の姿を、まだ一度もこの目で見てはいないのだから。
 まあ動物に詳しい人ならば聞いて苦笑いするような話だろうが、ときには情報を持ちすぎるよりも、こんな子供のようなドキドキしながらの発見がとても面白いものなのだ。

 玄米とキャンプの相性がとても良いことに驚いている。今まで気づかなかったとはうかつだった。とても炊きやすいのである。水加減が適当でも、火加減が適当でも、なぜか焦げ付いたりしない。野菜を煮込むような適当さである。昨夜に玄米を入れたコッヘルを、そのまま焚き火に突っ込んで炊いてみたが、ガスストーブで炊いたときとまったく同じような炊きあがりだった。なぜだか推測してみるに、白米を炊くときのような糊状の粘っこい液体が出ないため、それによって水の対流が妨げられるということがなく、均等に熱が行き渡って焦げ付くことがないのでは。
 付け加えれば、熱伝導の悪いチタンのコッヘルであっても、熱を拡散させる金網など使用せず、まったく焦げ付かせずに炊くことができる。
 焚き火で白米を炊くのはかなり面倒な作業なので、今まで炊飯はガスストーブを使うのが常であったが、これであれば、これからは焚き火を使うことでガス缶の量が減らせそうだ。 

 十三時間という長い夜はますます寒くなり、指を使う細かい作業ができなくなった。寝袋の中でじっと朝日を待つしかない。

 寝ている僕の頭のすぐ脇、テントの薄い布地を挟んで数センチのところで、何かの動物がごそごそとやっている。たぶん狸だろう。川岸の獣道のある場所にテントを張っているのだから。


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