2012/05/23

ザ・ケネウィックマン・エクスペディション、52日目


午前四時にアラームで目覚めると、まだ日が昇らない午前五時には川岸へと降りて出発準備を開始した。太平洋はまだここからコロンビア川を七十キロメートルも下った先にあるのだが、すでにその海の潮が満ち引きする影響が遠く離れたこの場所にまで及んでいて、海水面が上昇すると川の水は下流から上流へと逆流していた。できれば水の流れに逆らってカヤックを進める努力は避けたいので、日々移り変わる潮汐のグラフを考慮に入れながら、午前七時五十分に川の流れに乗って漕ぎ出す。出発する少し前から雨が降り始めていた。ワシントン沿岸は雨量が豊富なので、雨がやむのを待っていてはいつまでたっても出発できない。



両岸には雨を蓄えた豊潤な森が途絶えることなく続いていた。林に覆われた広大な中洲が頻繁に現れては視界に広がるようになり、河口に差し掛かっていることが見て取れる。海の気配が強くなってコロンビア川下りのセクションが終わりに差し掛かっていることを実感すると、ここまで来られたという大きな喜びと、ここから先の不安が入り混じった気持ちになる。



冷たい風と雨が徐々に激しくなってきた。ドライスーツの下にはフリースの上下とウールの靴下を着込んでいるが、それでも体が芯から冷え切り身震いする。追い風を受けているカヤックの速度は次第に早くなり、最高速度は時速十二キロメートルほどにもなって、鋭い船首が波にバウンドしながら、水を切り裂き長いV時の波紋を描く。カヤックの両サイドから水中に差し入れた翼のような形状のキールは、速い速度が生み出す水圧に負けてゆっくりと水上に押し上げられ、何度も押し戻さなければならない。

ますます風が強くなってきた。幅が二キロメートルほどもある川の中ほどを進んでいたが、少しでも風を避けるために、まるで吹き曝しの中央部を離れ、川岸の森に沿って進もうと、カヤックを右に旋回させて岸へと向かう。すると風がカヤックを真横から強く煽るようになってバランスが悪くなり、フットペダルで操作するカヤックの舵と、それを補助するための舵として水中に差し入れたパドルだけでは操舵力が不足して、カヤックを真っ直ぐに進めるのが難しくなってきた。突然襲いかかってくるかもしれないさらに強い突風の恐怖が脳裏をかすめる。

天候は悪くなる一方であるように思えた。これ以上風が強くなると危険なので、どのような環境でもよいからテントが張れる場所に上陸して今日の行程は終わりにしようと判断する。しかし午後十二時三十分、最初に上陸してみた砂浜には、潮が満ちてきたときにテントが水に浸かってしまいそうな低い場所しか見つからないので、しかたなく断念して再び川へと漕ぎ出した。

さらに二キロメートルほど右岸の森に沿ってカヤックを進めると、小屋が建てられていて明らかに個人所有だとわかる砂浜が現れた。上陸してもテントを張る許可を得られるかどうか分からないが、さらに進んで場所を探したところで人が足を踏み入れた形跡のない砂浜がそうたやすく見つかるとは思えず、天候悪化の中では選択の余地がなさそうなので、カヤックを浜に乗り上げた。午後一時十分になっていた。

しかしながら砂浜の持ち主は外出中とのことだった。さらにカヤックで移動するには厳しい状況なので、いつ帰宅するのか分からないがその人を待つことにする。その間にも天候はさらに悪化し、くわえていつの間にか追い風が向い風へと変わっていて驚く。待つこと二時間、帰宅したレオンに無事滞在許可を貰うことができてほっと一安心する。すぐにレオンと彼の友達のサムに手伝ってもらいながら、カヤックをばらして砂浜から引き上げる作業にかかった。

初対面の印象ではサングラスをかけていたレオンは強面であったが、すぐにとても優しい心の持ち主だとわかる。彼と奥さんのリンダは、カヤックなんぞに乗った人間が突然自分のビーチに上陸してきたことに、目を丸くしてとても驚いていた。ビールと軽食をご馳走してくれ、温かい風呂にも入れてくれ、さらに砂浜の脇に建てられた古いソファーベットが置かれた小屋に滞在してもいいと言ってくれる。ここでも温かい愛情に包まれて、厳しい旅にもかかわらず心は喜びと平安に満ち溢れた。



今日は五時間二十分かけて三十四キロメートルを進んだ。