三人のカメラマンがカワセミを狙っていた。川岸を覆う枝から水中へと垂直にダイブして小魚を獲る瞬間を撮影するために、大砲のように大きなレンズを三脚に構えている。30メートル先のまだカワセミのいない枝を、ギラリと光るコーティングされたレンズが見詰める。僕の手前で陣取るセミプロの風情を持った男性は、ニコンの800ミリにエクステンダーを付け、全体を迷彩色のカバーで覆っていた。
カヌーを車から降ろし、彼らと談笑しはじめてから10分も経たないうちに、さっそく一羽のカワセミが狙いをつけている枝に飛来した。スズメほどの小さな鳥だが、宝石のようなコバルトブルーの羽根を纏ったその姿は、遠くからでも容易に識別できる。羽根の微細な構造が、太陽光の波長と干渉して、翡翠の輝きを放つ。
高麗川にはカワセミが住んでいるのだ。いまだ巣を作る崖が残り、水が綺麗な清流なのである。僕の実家は高麗川沿いなので、散歩をしていれば、川に沿って縄張りを移動し、枝や岩から水へとダイブして小魚をくわえる姿をしょっちゅう見かけるのではあるが、何度その美しい姿を眺めてみてもまったく飽きるということがない。魚を捕らえるための大きなクチバシと短い尾、そしてコバルトブルーの体色が特徴で、一目見ればすぐにそれだと分かる姿だ。
インフレータブルカヌーに足踏み式ポンプで空気を入れる。100リッターほどのザックに丸めて入れられていたカヌーが、10分もあれば全長3メートルほどの大きさに膨れ上がる。
川に浮かべた。
冬の間は雨が降らないため、三月のいまは、川の水量がとくに少ないようにみえる。水にパドルを差し入れ、漕ぎ始めて、100メートルも進まないうちに、もうカヌーの船底が石をこすり始めた。お尻の下の船底が、体重が集中して一番沈み込みこむので、最初にこすり始めるのだが、身体を寝かせてお尻を浮かせる小技をつかってみても、水深が浅すぎて通過できない。この川を下ってみようと思いついた時点で、まずそうなるだろうと予想はしていたのだが、もうさっそくカヌーを下りて、船尾に結び付けたロープを掴んで、川に浮かべたままのカヌーを引きずり始めた。釣り用のウェーダーも持ってきてはいるが、いまは試しにごく普通の長靴を履いているので、川底の苔で足が滑って不安定だ。
カヌーに乗っては水に浮かび、カヌーを降りては歩き、また水に浮かぶということをなんども繰り返しながら、巾着田というまさに巾着の形をした広場の縁に沿ってゆっくりと進んでいると、一羽のカワセミがブルーの飛跡を空中に描いて僕を追い抜いた。この一羽のカワセミとの出会いだけでも、この浅い川を下る意味を十分過ぎるほどに与えてくれる。明るい陽光のエネルギーを吸収した羽毛は、宝石の輝きを再び空中に放つ。
林が両岸に続く。道路はない。土手もない。林の隙間からときおり民家が顔を覗かせるだけだ。川は曲がりくねり、先は見通せず、おそらく古来の道筋をそのままに流れていると思われる。
そう、この曲がりくねった流れこそが、「川」なのである!
岩肌が露出した崖に川の流れは突き当り、深い淵となって水を湛えていた。カヌーを水の流れのない場所へと移動して、停める。離れた場所から見ると淵の水は濃い緑色をしているが、カヌーに乗って真上から見下ろすと、水は空気のように澄んでおり、深い水の底まで透き通って見える。まるでカヌーが宙に浮いているようだ。その空中を小魚が泳ぐ。木葉のようにただ静かにカヌーを浮かべ、10分ほど下を覗き込んでいた。カワセミも枝から魚を見下ろしているとき、同じような情景を見つめているのだろう。
淵は、水のかたまりと大地が生み出す造形に見惚れてやまない美術館であり、 また天然の水族館である。しかし川のもっとも美しい領域の一部であるこの淵には、崖と深い水に阻まれているので、カヌーなしには近づくことができない。「水の道」を行くカヌーがもつ醍醐味の一つである。
淵が終われば瀬が続く。カヌーが川底をふたたびこすり始めた。カヌーから降りる。体重の分だけ軽くなって浮き上がり、また水に流れ始めたカヌーをロープで引き止めながら、ゆっくりと浅い瀬の中を歩いた。コロコロと軽快に響く水音に包まれる。春の陽射しは暖かく、長靴を通して感じる水温が心地よい。二匹目のカワセミが青い光跡を空中に描いて飛び去った。
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