アラスカ原野カヤック単独冒険行
ユーコン川2,700キロ
Leo Ryota Yamada
(Leo R. Yamada, 山田龍太)
【この時にカヤックの上から撮影したユーコン川の映像が、アマゾンで観れます】
ユーコン川2,700キロ
Leo Ryota Yamada
(Leo R. Yamada, 山田龍太)
ユーコン川を、カナダの源流湖からアラスカのグレイレング村まで、2,700キロメートルを3ヵ月かけて、単独カヤックで下る冒険紀行。遠征中に毎日、衛星通信経由でブログにリアルタイムで投稿した、進捗報告です。
【この時にカヤックの上から撮影したユーコン川の映像が、アマゾンで観れます】
2016年5月27日
各種ナッツ寄せ
成田。テープで巻いただけの、各種ナッツ寄せ集め、みたいなこんなものを、デルタ航空は載せてくれるのかな?
長靴ファッション
余計な荷物なんて、かけらも持って行きたくない。川では長靴。だから国際線の飛行機に長靴で乗る。なんてカッコいいファッション!同じスタイルを空港で見かけて気まずい思い、なんてすることもないしね、ハハ。
2016年5月28日
味噌を見つけた
カナダの外れにあるホワイトホースの町で、信州味噌を見つけることができた。この味噌と米さえあればなんとか生きていけそうな気がして、小躍りしたい気分だった。
これで、打ち豆と干し納豆と味噌という大豆から作られた食品が、明日、源流より上のベネット湖まで持って行かれることになる。
2016年5月29日
ベネットへ向かう
僕がこのユーコン川下りのスタート地点としたい場所は、ベネットという、ユーコンゴールドラッシュの時代に人々が金鉱へ向かうためユーコン川に沿った筏下りのスタート地点としていた、今では廃墟の町なのだが、車でそこまで行ける道路はなかった。なのでカヌーピープルというアウトドアガイド会社のエミリーに、そこより下流あるカークロスという町までの、カヌーと物資と僕自身の輸送を頼んだ。
ジムが運転して僕を運んだ。道すがら、カークロスからベネットを通ってスカッグウェイまで運行している狭軌の山岳列車が、もしかしたら装備をベネットまで運んでくれるかもしれないと、僕らは話した。
カークロスの観光センターを訪れた。ジムが煩雑な英語でのやりとりを肩代わりしてくれる。観光センターの人達は、僕の計画を聞くと、開口一番アドバイスをしてくれた。
「山に挟まれて細く長いベネット湖はね、常に強風が吹き荒れる場所なのよ。砂が砂漠みたいに貯まっているでしょ。あれはみな強風が山から運んだものなの。その強い風が激しい波を作るのよ。エンジン付きの大きなボートを持っている地元の人間であっても、強風の時は、けっしてキャビンへ移動するために湖へ出ることはないわ。危険な場所なのよ。」
「強風は突然吹き始めるのよ。そして45キロメートルも続く湖岸には、僅かに数カ所しか、避難のために上陸できる場所はないわ。」
あまりにも真剣な顔で彼女らが話すので、会話を続けながら数十分の間、これはベネットからのスタートを諦めて、下流のここカーマックスからスタートするべきかもしれない、と、僕は考え始めていた。
しかしながらも最終的に、もしも観光列車が僕とカヌーを運んでくれるのであれば、とにもかくにもベネットへ向かうことにする。まずは向こうに行って風を慎重に観察するのだ。似たような状況はすでに、遠征を始めたワシントン州のコロンビア渓谷で経験していた。
次なる問題は、列車は、月曜日の今日は運行しておらず、明日の火曜日まで待たなければならないことであった。十個近い防水ザックに詰め込んだ装備とカヤックは、とてもキャンプ場まで歩いて持っていけるものではない。駅の近くに店舗をかまえる誰かに頼んで、倉庫に保管してもらうしかなかった。しかし、まさに駅の正面でマスー・ワトスン・ジェネラル・ストアーを開いているロンが、僕の願いを快く引き受けてくれた。
そして観光センターのダフネが、僕の代わりに鉄道会社のオフィスへ電話をして、僕と荷物を運ぶことができることの確認と、切符輸送の手配をしてくれた。
ここでもまた地元の人々が僕を手助けしてくれている。感謝が絶えない。
2016年5月30日
エスターとタンポポの葉
エスターとジム、トムに、カークロスのキャンプ場で会った。彼女はタンポポの葉っぱが食べられることを教えてくれた。これは貴重な食料になりそうだ。
2016年5月31日
スタート地点、ベネット
この冒険のスタート地点となるベネットに今いる。ホワイトパスの列車には貨車が連結されていて、僕のカヤックを運んでもらえた。
廃墟の町に一人。静かなベネット湖は美しい。
今は夜の11時10分なのだが、やっと夕焼けが始まったばかりだ。
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2016年6月1日, 1日目
冒険が始まった
ついに今日の午後、ベーリング海へ向けて漕ぎだした!
出発時は、比較的明るい空の下でぱらぱらと雨が落ち、風はなかった。背後に広がる雪を被った山並みが美しい。いま僕が見ているのは氷河の一部だろうか。湖には誰もいない。鳥だけだ。
数十分漕いだあと、雨は止んで日が射し、追い風が吹き、白波が立ち始めた。カヤックよりも速い速度で、波は後ろから追い抜いていく。カヤックを襲う波の様子は見ることができないので、気をつけなければならない。
綺麗な拳大の石が敷き詰められ、風は避けられ、ながめの美しい岸を見つけたので、上陸してテントを張った。
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2016年6月2日, 2日目
ベネット湖、ここは天国
もしかしたら、これから下るベーリング海までの、ユーコン川の源流から河口という行程の間で、ここベネット湖が一番美しい場所なのかもしれない。
この大きな湖が湛える水は、水晶の姿と味を持つ。誰もここより上流には住んでおらず、氷河だけが横たわっている。
地球とはこれほどに美しいものなのか。ここにしばらく滞在したい。
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2016年6月3日, 3日目
素晴らしき生命
今日は移動せず、この素晴らしいベネット湖に滞留している。
初めて米を炊く余裕ができたので、炊き立てのご飯を信州味噌で食べた。やはり旨い!黒ベーグルと青かびの生えたチーズもいけるのだが、こちらは胃袋が一杯になるまでガツガツと食べられる。
ストーブを使う余裕ができたということでもあり、お湯も初めて沸かし、コーヒーミルで粉砕して持ってきた緑茶(容積が減って、葉を濾す網は必要なくなり、繊維質が取れる)も飲んだ。旨いねぇ~。
これでストーブが、かなり手荒に扱われる飛行機への預け荷物で壊されることなく、機能することを確認(鍋とかボトルは歪んでしまった)。いまのところ、初日から両足共に大きく裂けて、水が進入してまったくの役立たずになってしまった長靴だけが、物資としての問題である(2月に北海道の湿原へ履いていったばかりなのだが。物は大切に使いたいが、プラスチック製品は、壊れていなくても定期的に交換する必要があるな・・・・・・接着剤でもダクトテープでも修理不能で、ビニール袋を内側に履いている)。
特にこういう活動をしていると、気付き、そして感心するのだが、全ての装備は日毎にどんどんと劣化し壊れていくのに、自分の体だけは、ご飯さえ食べていれば修復されていくのである!生命のなんと素晴らしきことよ。
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2016年6月4日, 4日目
星空を見ることがない
テント脇で心地よい早瀬の音を奏でている小川が、湖へと流れ込んでいるのだが、そこにルアーを投げ込み、30センチほどのグレイリングを釣りあげた。湖の冷たい水で引き締まった身は、刺身にして食べたくなる。一夜干しを試みたものの、蠅が寄ってくるので今日は諦めた。家庭で使う干物用のネットは、カヤック上での釣りを主に想定していたので、持ってきていない。干すのはカヤックの上でなければ無理かもしれない。フライパンで焼いて食べた。白身の美味しい魚だ。
太陽は山の裏へと沈むものの、夜が来ない。星空を見ることがない。ここは違う世界だ。
今日はほぼ一日、眩しい陽光が降り注ぎ、氷河から吹き下ろす強くて冷たい風が吹いている。
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2016年6月5日, 5日目
ベネット湖縦断
日の出前の午前三時に起きる。とはいうものの、ごく短い時間の夜になっても星空を見ることがないほど明るいので、日の出前という感じではないが。
ほぼ白夜に近い状態である。太陽が上昇する速度は遅いので、朝焼けはいつまでも続く。その美しさをゆっくりと堪能しながら、テントをたたみ、荷造りをして、カヌーに積み込んでいく。
朝焼けが終わる気配もなく続くということは、同様に、心奪われる夕焼けもまた永遠に続くということだ。夕焼けと朝焼けの区別がほとんどないままに、連続して流れていく。白夜に近いこの地方のこの季節は、なんと素晴らしい世界なのであろう。
カヌーに荷物を詰め込んでいると、ビーバーが、目の前の岸で荷造りをしている僕のことなどまったく気にすることなく、魚を求めてあたりを泳ぎ回っては潜水を繰り返しはじめた。人間に脅かされた経験がないのだろう。
尻尾でバシャンと大きな音を立てながら水面を叩き、しばらく潜る。小川が湖に流れ込んでいる場所で、そこは僕がグレイリングを釣った場所だから、集まるグレイリングを食べているのだろう。この小川の上流にダムを作って、その巣から川を下って餌を捕りに来たのだろう。
なぜそんに朝早く起きたのかといえば、ベネット湖の強風は、午後と比較すれば、午前のほうが弱いだろうと計算したのだ。2日目には、強い追い風で60センチほど、そして瞬間的には1メートルほどの波が立っていた。
漕ぎ始めて運動をしているにもかかわらず、氷河から吹き下ろす風はとても冷たくて、ダウンを着込んだままカヤックに乗り続けた。
振り返れば望めるその氷河は、いつまでも見とれるほどに美しい。
ベネット湖を漕ぎきって、カークロスの小さな町を再訪した。
ベネット湖は強風が吹くから危ないと僕のことを一番心配してくれていた、ビジターセンターのドロシーが、僕が湖を漕ぎきって無事に帰ってきたことをとても喜んでくれた。さらに、僕の裂けた長靴の代わりを、この小さな町の誰がが持っていないかと、あちらこちらの知り合いを当たってくれた。仕事が終わったあとにリサイクルセンターまで長靴探しにつき合ってくれて、結果的には、彼女の自宅にあって忘れていた長靴を僕にくれた。これでもう、氷河から流れ込む冷たい水で足を濡らさずにすむ。ここでもまた、地元の人に助けてもらった。
岸の石に混じって落ちていた、青い大きなガラスの欠片は、ビジターセンターで訪ねたら、ゴールドラッシュ時代に作られた電線の碍子の欠片だろうと教えてくれた。帰ったら穴を開けて紐を通そう。
明日は地元の人が教えてくれた、もう一つの強風の難所、Windy Armに挑戦だ。事細かに、このルートを通って風に流されながらもこうやって進め、と教えてくれた。
2016年6月6日, 6日目
ウィスリーとテリー
ウィスリーとテリー
朝方湖を漕いでいたら、突然、「龍太!」と名前を呼ばれて驚いた。岸からウェスリーが呼んだのである。昨夜カークロスに張った僕のテント脇で出会ったウェスリーとテリーに、偶然にも再会した。美しい湖の岸辺に建てられた、彼のとても気の休まる素敵な小屋で、コーヒーを飲み、そして素晴らしい数時間を過ごした。
ウィンディ・アーム
氷河から吹き降りてくる強風がもたらす難所、ウィンディー・アームを越えられない。風と波に翻弄されてカヤックのコントロールがまるで効かず、やばいやばいと慌てて引き返した。すぐ手前の岸で風が穏やかになるのを待っているが、いつまで待てば良いのかまるで分からない。地元の人間でも読めないと言っていた。
さらにもう一つの難題が発生。太陽電池パネルが接触不良で死にかけている。開けることができないから治しようがない。
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2016年6月7日, 7日目
黒い波
氷河へと延びる細長い湖と、カークロスという村が端にある湖とが、垂直に接続する場所を、地元の人達はウィンディー・アームと呼んでいる。そのすぐ脇にある岸にテントを張って風が止むのを待ち続けていたが、太陽が山の背後に沈みかけた頃、漕ぎ渡るチャンスが訪れた。風は止み、見渡すかぎり白波は一つも立っていなかった。テントをたたみ、荷物をカヤックに詰め込む。北緯60度なので完全な白夜にはならないが、それでも薄明るくてヘッドライトなしでも行動できる午後11時に、漕ぎだした。
楽勝、のはずだった。それでも念を押して、セオリー通りに、風が吹き始めて流されてもかまわないようにと、進みたい方向に対して90度右手となる氷河へ向けて漕ぎ始める。そして中央にある大きな島を目指してウィンディー・アームを横切り始めた。
進むにつれて、徐々に風と波が出始めた。だがまだ白波が立つほどではなかった。状態がよくてもこの程度の風は吹くのか、と思いながら、そのまま漕ぎ進める。
しかし益々風と波が強くなり始めた。もう岸と島との中間ほどに来ていて、引き返しても島を目指しても、どちらでも同じような位置に来ていた。風の具合が急変して吹き始めたのか、それとも遠くの白波が目視できずにいたのか、その両方であったのか、とにかく読みが外れた。
進みたい方向は、波と風に対して平行な方向。だが真横からくる波をカヤックに食らう分けにはいかない。しかし波と風に対して垂直であり、かつ風下の方向へと進めば、地元の人が教えてくれた情報によると、上陸できない危険な岸に打ち上げられてしまう。波と風を右手後方60度の角度から受けるような角度で、漕ぎ進めた。
ウィンディー・アームが終わるであろう場所は、まだ遙か彼方の、おそらく10キロメートルは先にあった。上陸できない岸は、4キロメートルほど先にあった。湖のど真ん中。暗い、荒れ狂う海、そのもののようだった。
後方から次々に押し寄せてくる波を全て把握したいが、後ろばかり見ている分けにもいかない。不意に大きな波が、右斜め後方から襲いかかってきた。カヤックが大きく右に傾いた。転覆ぎりぎりの角度、指の上で鉛筆を立てて倒れないようにバランスを取っているような不安定な状態、まで傾いた。いままでの経験では、そのまま転覆していた。「ああ、ひっくり返る」、と思った。上半身を大きく左斜め後ろに傾かせて、重心を移動し、バランスをとる。しばらくのあいだカヤックは右に傾いたままの状態で停止し、徐々に左へと戻りはじめた。なんとか横転はまぬがれた。次はその反動でカヤックが左に傾いた。パドルのブレードで激しく左手の水面を叩いて、その回転を押さえ込む。
ドライスーツもウェットスーツも着ていない。
「ここで死ぬのか」、と思った。
ウィンディー・アームが終わる場所は、まだまだ遙か彼方。疲れ切っているが、「集中、集中」と声に出しながら、波と風の気配に意識を集中させ、全力で漕ぎ続けた。
もし上陸できたら、もう冒険は止めて、マックでバイトでもしよう、と思った。
なんどもなんども黒い大きな波に襲われる。
氷河からくる水で凍るように冷たい湖の真ん中で転覆するよりは、カヤックがバラバラになっても岸に打ち上げられたほうが、生存確率は高いと考え、斜め後ろから波と風を受ける危ない方向から、それより少しはましである真後ろから波と風を受ける方向へと、カヤックを進める向きを変えた。岸を前に見ながら漕ぎ進む。それでもまだ、波にカヤックは大きく翻弄され続ける。
ウィンディー・アームの終わりではなく、岸が近づいた。もう上陸するしか道はない。小石の浜を薄明かりの中で確認したので、舵を跳ね上げて上陸を試みたが、岸が近くなるほどに波は高さを増すので、この場所ではカヤックが転覆して波にもまれそうだった。再び舵を降ろし、パドルを逆に漕いでカヤックを後退させ、状態が良い場所を探す。一箇所だけ、なぜか打ち寄せる波が低い場所があった。滅多に見ることのない地形だが、小さい水たまりへと繋がっていて、うまく波のエネルギーを消している。ラッキーだった。そこにカヌーを忍び込ませた。
堅い大地が再び踏めた。
午前12時半をさしていた。1時間半の間、波と風にたいして、蟻ほどのちっぽけな俺は必死にあらがっていた。
濡れた服のまま、テントも張らず、まず、まだ一度も飲まずにただカヤック内に転がしていたユーコンゴールドというこの地のビールを、飲んだ。
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2016年6月8日, 8日目
生命
生命
タギッシュ湖を北上した。
なぜ漕ぎ続けるのか。
生命だから。人間だから。
昨日のウィンディー・アームは、まだ記憶に生々しい。
大きな岩の島に、カモメが20羽ほど群生して、巣を作っていた。僕が近づくと、親鳥は飛来して上空を旋回し、近づくなと警告する。茶色の雛が、ひょこひょこと歩いて岩間に姿を見せた。
雁が10羽ほど、岸辺を歩いていた。前後を親鳥に囲まれながら、雛も20羽ほど。親鳥はゆっくり、雛はちょこまかちょこまかとせわしなく、可愛らしく。こちらはカヤックが近づいても、少し足取りが速くなるようだが、飛来して警告することはない。
カヤックが進むのと同じ風上の方向へ、彼らも歩いた。しばらくの間、彼らと旅を共にした。
生命の王国。
生きる彼らを眺めていると、美しさに感動が走った。ああ、俺が求めているものは、もしかしてこれなのかもと思えた。
タギッシュ湖に、向かい風が吹いていた。風に対抗して漕ぐのは、楽ではない。しかしもう、ベネット湖やウィンディ・アームのような、常に一方向からしか吹かない、氷河から吹き下ろす強い風ではないということだ。気まぐれに方向を変えるのだろう。
頬に風を感じ、空を眺め、今この時を楽しんだ。
カヤックが浸水し始めた。一時間に二リットルほど水がたまる。ひっくり返して船底を見てみるものの、何処に穴が空いているのか目視できない。防水ザックにいれてはいるものの、内部の荷物が濡れて壊れる可能性は大きい。穴が大きくなって浸水が激しくなる可能性もあるので、岸を離れられない。河口付近では、24時間以上乗り続ける必要があるかもしれない。旅を続行するには、目視できない穴を見つけて塞がなくてはならないが、どうしたものか。
長靴は裂け、テントの入り口のチャックは一つ閉まらなくなり、太陽電池パネルは瀕死の状態で、ウェアのチャックも怪しく、カヤックは浸水している。もうすでに傷だらけで不安が走るが、それでも自然は美しく、いま感じる世界に満足することができる。
総距離: 99キロメートル
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2016年6月9日, 9日目
蒼く広大な湖
蒼く広大な湖
カヤックに空いた小さな穴を発見した。ウィンディー・アームで、黒い波と風に背後から襲われながら上陸した際に、岩にぶつけて開けたのだろう。持ってきたパッチで修理が可能だ。
しかし屋外での修理なだけに、パッチを張り付ける接着剤を丁寧に薄く延ばすことができなかった。これから三ヶ月も酷使することや、修理箇所にも強い負荷が加わることを考えれば、24時間ではなく、焦らずに三日かけて接着剤を乾燥させた方が賢明だろう。
修理と乾燥で4日間の滞留だが、まあいい、空は青く広く、湖も青く広い。プレーリードッグも顔を見せてくれた。
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2016年6月10日, 10日目
ベブ
ベブ
一昨日の夜、タギッシュという村にかかる橋の袂に上陸したのだが、偶然にもそのすぐ脇にあったのが、いま滞在しているキャンプ場である。そのとき僕が最初に話しかけた、焚き火を囲んで夜を楽しんでいた一行が、ベブとブルースと娘家族。ベブとブルースはトレーラーハウスで長期滞在している。ベブが「私たちの隣にテントを張りなさい」と言ったので、僕は言われるままにそうした。
ベブはまるで実の母親であるかのように、僕の食事の面倒を見てくれる。うどんスープはいるか、チキンはいるかと、常に尋ねてくる。彼女の作ってくれた、醤油で味付けしたネギ入りのうどんは美味しかった。
彼女は先住民の子供で、今夜は、プレーリードックや、ウサギや、鴨をどのように調理するのか教えてくれた。プレーリードックは柔らかくて美味しいらしい。
それにしても、まだ漕ぎ始めて一週間ちょっとしか経っていないというのに、かなり痩せたように見える。30キログラムのカヤックは出発時より軽く感じるので、筋肉は増えているが、脂肪は見あたらない。想像以上に食べ続けなければならないようだ。食べねばならぬが、漕がねばならぬ。簡単に太れる都会の生活は、凄い、な。食え、そして動け。
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2016年6月11日, 11日目
ブレンダの誕生祝い
ブレンダの誕生祝い
ベブの娘ブレンダが、彼女の誕生祝いの晩餐に招いてくれたので、タギッシュ湖の周囲に広がる広大な森の中に建てられた、ブレンダとラルフのコテージを訪れた。
たんに動物や植物が好きだという以上に、自然との繋がりを深く感じながら生きられることに、みな喜んでいるようだ。彼らの感覚を、さらに深く、共に感じてみたい。
2016年6月12日, 12日目
浸水は止まった
浸水は止まった
カヤックの穴にパッチを当てて、接着剤の乾燥に三日待った(次回からはセメダインのスーパーXを持ってこようか)。カヤックを湖に出して試乗してみたが、浸水は止まっている。万全な修理とは言えないので、再度同じ場所を岩に擦れば、当てたパッチはまた剥がれてしまうかもしれないが、現場での修理としてはベストをつくしただろう。三ヶ月もってくれることを祈る。
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2016年6月13日, 13日目
朝食をリスと分かち合う
朝食をリスと分かち合う
今朝はリスと朝食を分け合った。
僕の手に彼の小さな手をのせて、ご飯を探す。二三口食べると、一度見回りに出かける。もしくは20粒ほどの大きな固まりを頬張ると、木に登って食べる。そして何度も何度も繰り返しご飯を食べにやってきた。しょっぱい味噌もそのまま食べていた。
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夕焼け、朝焼け、焚火、そして静かな湖
夕焼けが、夜を迎えることなくそのまま朝焼けへと変わる。ゆっくりと、長い時間をかけて。そして焚き火の揺らぐ炎と、静かな湖。
これ以上の贅沢が、いったい何処にあるというのだろうか。
今日は向かい風の中、マーシュ湖を楽しんだ。
総距離: 111キロメートル
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2016年6月14日, 14日目
マーシュ湖
マーシュ湖
午前中は雨で待機した。午後から漕ぎ始めるが、ほぼ向かい風だった。
向かい風だと自転車で坂を上っているようなものであり、追い風だと自転車で坂を下っているようなものである。向かい風の時は、追い風の時の1/3ほどの速度しか出ないし、体力をとても消耗する。
結果、今日は10キロしか進めていない。
いま雷が鳴っている。昨日から天候が崩れている。
肉や魚が食べたい。体がタンパク質を求めているのだろう。カヤックで釣り糸を引っ張り、魚を捕りたいところだが、難所越えの時はそれどころではなかったし、向かい風の湖では風を避けて岸ぎりぎりを漕ぐので、やはりできない。カヤック上での釣りを試せるのは、おそらくすべての湖を越えてからになるのだろう。ベネット湖、タギッシュ湖と漕ぎ進み、今はマーシュ湖だ。最後の湖はラバージ湖となる。
総距離: 121キロメートル
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2016年6月15日, 15日目
サーフィン
サーフィン
強い低気圧に覆われているのだろう。漕ぎ始めたものの、向かい風が昨日に増して強くなった。風の変化は急激だった。出発したときには水面がとても穏やかだったので、転覆した際に水の進入を防ぐシーソックスは付けずに漕ぎだしたのだが、波と風を避ける間もなくそれらに揉まれてしまった。うねる波と同じ方向に漕ぎ進めば、まさにカヤックでサーフィンをしているようだった。
風に押さえ込まれて、漕いでも漕いでも時速0.5キロメートルほどしかでなくなったので、漕ぐのをあきらめ、風が止むのを待つために、岸に上陸してテントを張った。
その岸辺で、犬を散歩させていたアリスと出会った。湖が見下ろせる森に囲まれた家に招かれ、コーヒーを飲んだ後、彼女の友達のクリスティンが、町まで食料の買い出しに連れて行ってくれた。夜には、夫のグラントと共に、暖かい食事をご馳走になった。暖かいシャワーも。
総距離: 123キロメートル
神秘の真夜中
なんと美しい真夜中なのだろう!
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2016年6月16日, 16日目
ユーコン時間ただ風が止むのを待っている。ただ時間が流れるのを感じている。ユーコンの時間はゆっくりと流れている。
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The perfect world
風が止んだ。
午後11時にマーシュ湖へと漕ぎだした。一晩中続く夕焼けと朝焼けが、鏡のような湖面に映し出され、僕は地球の壮大なショーに包まれる。
完璧な世界。
見たことのない美しさに、驚き感動し飲み込まれる。
午前6時にマーシュ湖の北端に到着して、縦断に成功した。
総距離: 154キロメートル
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2016年6月17日, 17日目
野生動物の楽園
野生動物の楽園
歯か欠けてピンクのピアスをした男が、小さなボートに乗って、僕のカヤックに近づいてきた。彼の名はデイブ。ボートの縁を掴み、しばし水上で会話を楽しんだ後(ここでは、会話は、情報交換の意味合いは薄れ、純粋に楽しむものだと気づかされた)、彼は釣ったばかりの40センチメートルのパイクを一匹僕にくれた。
湿原の真ん中に一箇所だけ砂浜があった。上陸しテントを張った。
焚き火をおこし、水の中でさばいたパイクを鉄串に通して、火の脇に刺した。
静かな湿原。野性動物の楽園。鳥の声が響きわたる。ビーバーとカモメが近づいてきた。
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2016年6月18日, 18日目
ビーバー
ビーバー
なんとビーバーの多い場所だろう。今日一日で20匹ほどは見た。ダムを作って流れをせき止めるものだと思っていたが、切り出した木を岸に積み上げて巣にしているだけだ。尻尾で激しく水面を叩いて大きな音をたてながら潜るのと、音を立てずに潜るのとがいる。カヤックを漕いでいると、すぐ近くで突然大きな水音がたって、驚かされることもある。
湖から川へと変わった。
周囲から山がなくなって、日没に近くなっても、太陽が山に隠れなくなった。そして川は北西へと流れている。日没前には進行方向の真っ正面に太陽がきて、帽子をかぶっていても、低い位置から放たれる太陽光が目に直接飛び込んできた。サングラスをしているにもかかわらず、眩しかった。
北極圏に近い太陽は、夜になっても低い位置を保ったまま、なかなか沈まない。一時間、二時間とその状態が続き、目がかなり辛くなってきた。目にダメージを受けたくもないので、上陸してテントを張りたかったが、岸の様子がよく見えず、テントを張れる場所を見つけるのがとても難しかった。こんな経験をしたのは初めてである。
総距離: 181キロメートル
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2016年6月19日, 19日目
ダム
ダム
ユーコン川にたった一つだけあるダムを越えた。
ホワイトホースのアウトフィッターに電話をして、お金を払い、車にカヤックを積んでダムを迂回するという手段もあったのだが、自分の足で移動したかったので、およそ二キロメートルある迂回路を、カヤックを肩に担いで運び始めた。
その時、自転車に乗ってやってきたドイツ人のトーマスが、僕のカヤックを見て話しかけてきた。彼はホワイトホースからサークルという村までユーコン川を下っており、ベーリング海まで漕ぐのが夢だという。そして手でカヤックを運ぶ手伝いをしてくれた。二日がかりの作業になりそうだったが、彼のおかげで一日で済ませることができた。
総距離: 193キロメートル
2016年6月20日, 20日目
太陽電池パネル
太陽電池パネル
太陽電池パネルが半分死にかけている。三ヶ月かけてカヤックを漕いでいる間に、まず完全に壊れるだろう。したがってアマゾン・カナダでまったく同じ型を注文したのだが、14日から17日の間にホワイトホースへ配達される予定が、今日はすでに20日なのに、いまだカナダの税関でストップしている。ここに住んでいる人達に聞いたところ、配達が遅延するのは通常のことで、おそらく1~2週間は待つ必要があるだろうと言われた。日本の感覚では、14日から17日の間に配達予定となっていれば、まあ14日にはくるかもと半ば期待しているが、配達予定日よりさらに1~2週間待つと聞いて、唖然とした。
改造して防水にしているので、他の太陽電池パネルは使えない。
アラスカの冬はすぐに来る。だから今すぐにでも出発したい。だが同時に、進捗のブログとSNSへの投稿も続けたい。
首を長くして、ホワイトホースでいつくるか分からぬ太陽電池パネルの到着を待っている。
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2016年6月21日, 21日目
白夜のビーバー
白夜のビーバー
テント脇の水際で、ビーバーが夢中になって葉っぱを食べている姿を、僕は彼の目の前たった一メールの場所に座り込んで、飽きることなく一時間ものあいだ眺め続けていた。
夜中の一時の出来事である。白夜に近いので、その時間であっても辺りは薄明るい。夜行性の動物が活動しているのを、ライトなしの肉眼で見ることができる。
彼は、僕が砂利を踏みしめる音に気付いているし、なにしろ手を伸ばせば触れる距離なのだが、僕の存在など気にかけてはいないそぶりだった。テント脇の藪からかじり取ってきた枝の葉っぱを、むしゃむしゃと音を立てながら食べ続けていた。食べやすいように、ごりごりと音を立てながら、小枝をかじって切り離したりもする。深夜の時間帯は動物の警戒心が薄れるのだろうか。
驚きの体験である。
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2016年6月22日, 22日目
太陽電池パネルの転送
太陽電池パネルの転送
注文した太陽電池パネルは、いまだカナダの税関に引っかかっている。
町を歩きながら気が付いた。もしかしたらホワイトホースからドーソンヘ太陽電池パネルを転送することができるかもしれない。ドーソンとは、このさき僕が通過することになる、ユーコン川沿にあるカナダでは最後の町だ。
その足で郵便局に向かうと、費用はかかるが転送は可能だとのことだった。しかしながら郵便局のコンピューターネットワークが不調らしく、手続きができない。明日また郵便局を尋ねる。
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2016年6月23日, 23日目
カナダ郵便局事情
カナダ郵便局事情
今日は郵便局のコンピューターネットワークが正常に働いていて、太陽電池パネルのホワイトホースからドーソンヘの転送手続きを行うことができた。カナダの郵便事情は大変悪くて問題だらけだと皆が口をそろえて言うが、僕より先に太陽電池がドーソンに到着することを深く祈る。
しかしながらも、しかしながらも、7月1日にカナダ郵便局はストライキに入るそうだ・・・・・・神よ。
もし太陽電池パネルがドーソンに届かなければ、あとは電子機器はいっさいなしでベーリング海を目指したいと思う。ヘッドライトもGPSも通信機器もなしで。昔ながらに。うん、それも大変すばらしい!
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2016年6月24日, 24日目
レッスン
レッスン
たつき君の面倒を見てくれないかと頼まれて、今日は彼にレッスンしながら一緒に漕いだ。旅は道ずれ。旅は助け合い。
総距離: 214キロメートル
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2016年6月25日, 25日目
ラバージュ湖
ラバージュ湖
エメラルドグリーンのラバージ湖を漕ぐ。
弱い追い風で、湖はとても穏やかだった。
総距離: 250キロメートル
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2016年6月26日, 26日目
達希
達希
達希は南北アメリカを自転車で横断中だ。その道中でカヤックに挑戦している。ホワイトホースからドーソンまで漕ぐという。
ラバージュ湖は、全長は50キロメートルもあり、風と波が強く、初心者が一人で漕ぐにはあまりにも危険だ。だから達希を一人でほっておけない。ラバージュ湖を漕ぎきるまでは、一緒に漕ぎ、教えるつもりだ。
総距離: 272キロメートル
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2016年6月27日, 27日目
北緯60度の美しき夕方
北緯60度の美しき夕方
全長50キロメートルのラバージュ湖を漕ぎ終えた。
午前中は風と波が立っていたので、テントの中で寝ながら待機していたが、午後に入るとそれらは徐々に穏やかになっていった。
強すぎることなく快適に後押ししてくれる風と波を受けながら、湖面にカヤックを滑らせた。右手には滑らかな岩山が続いた。
湖の終端にさしかかると、風は完全に止み、木の葉のこすれる音さえ消えた静寂が訪れ、透き通った湖水を覗けば流れる小石が見えた。白くて大型のツバメのような鳥が飛び回り鳴く音と、時おり水に飛び込んでは魚を捕らえる音だけが、斜めに深く差し込む陽光が煌めく湖面と、絨毯のように柔らかく広がるトウヒの森に響きわたる。
北緯60度の美しき夕方。
総距離: 299キロメートル
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2016年6月28日, 28日目
時間調整
時間調整
時間調整のため、今日はオフ日。湖の風にあわせて午後漕いでいたのを、午前にシフトさせる。
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2016年6月29日, 29日目
ワタリガラス
ワタリガラス
この土地に遙かな昔から住む人々の神聖なる動物、ワタリガラスが、空から舞い降りてきた。
彼は足下にまで寄ってきた。しばらく時を共にすると、彼はすっかりくつろいで、となりで羽繕いを始める。
日本のカラスよりも、大きくがっしりとした体格だ。
パンを一切れ供するが、食べ物を欲しいという以上の何か知的な意志を持って、僕に寄り添っているようなそぶりだった。
不思議な体験であった。
総距離:376キロメートル
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2016年6月30日, 30日目
雨
雨
朝から午後5時ぐらいにかけて、しっかりとした雨が森に降り、今日は停滞する。釣りの仕掛けなどを作りながら過ごす。
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2016年7月1日, 31日目
朝靄
朝靄
川の水が天へと舞い昇る朝。今までになんど川の朝靄に見惚れたか分からぬが、今朝ほどに美しいものはなかった。辺り一面の水が一斉に、渦を巻くように空へと吸い込まれていく。天地が逆転したように。山陰から出たばかりの陽光が、立ち昇る水蒸気を金糸のごとく輝かせた。
総距離: 452キロメートル
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2016年7月2日, 32日目
生き、うねる川
湾曲した川の外緑には、高さ50メートルはあるだろう褐色の崖が立ちはだかり、いまも崩れ続けている。その内側には、小さな町などすっぽりと入ってしまう、広漠な浅瀬が横たわる。生き、うねる川に身を任せながら、僕は流れていく。
総距離: 503キロメートル
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2016年7月3日, 33日目
肉のブロック
肉のブロック
2016年7月4日, 34日目
グレイレングの味噌漬け
グレイレングの味噌漬け
午後8時、テントを張るために上陸してみると、小川がユーコン川本流へと流れ込んでいた。スピナーという回転しながらきらきらと光るルアーを釣り竿に取り付けて、合流部分の淀みに投げ込んでみると、40センチメートルほどはある立派なグレイリングが釣れた。
調理用ハサミで手荒く二枚におろし背骨を切り取って、ユーコン川を漕ぎ出す前にカナダで手に入れていた信州味噌と、ジップロックの中で混ぜ、味噌漬けによる保存を試みる。
ファイブフィンガーラピッドという名の急流を通過したが、簡単な瀬であっさりと通過した。
総距離: 570キロメートル
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2016年7月5日, 35日目
その瞬間を楽しむ
その瞬間を楽しむ
午前8時頃、昨夜グレイリングを釣った場所にもう一度ルアーを走らせてみると、また食いついてきた。
今度はハサミで二枚におろして、天日で乾燥させての保存食作りを試みる。また串刺しにして焚き火で焼き、朝食とした。
昨日作ったグレイリングの味噌漬けは、かなりいける。
塩漬けにしていた牛肉のブロックを、水で洗って塩分をおとし、切り分けてから金串を通して焚き火の脇に刺し、熱で炙り、煙で燻して、保存食を作った。
この遠征を成功させる秘訣は、ベーリング海を目標としてがむしゃらに漕ぐことではなく、その瞬間瞬間に集中して楽しむことにあるのだろう。アメリカ西海岸で漕いだ前回の経験も踏まえての考えだ。
人生におけるすべてのことに対しても、とどのつまり、同じなのだと思う。
日中から雷鳴が轟き、雨が降った。カヤックを漕ぎ始めてから、これで二回目だ。
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2016年7月6日, 36日目
ノーザンパイク
ノーザンパイク
昨日から立ち上がっていた入道雲は今日の午前中も引き続き空を覆っていて、冷たい雨と風が漕ぎ出すことを阻んだが、引き替えにカナダ人のアルから、ノーザンパイクの釣れる場所とコツを、一緒にその場所でカヌーの上から釣りながら教えて貰うことができた。焦らずに待つことで、引き替えにいい知恵を身につけることができた。
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2016年7月7日, 37日目
ヤマアラシ
ヤマアラシ
さすらい人、アル。愛犬をカヌーに乗せて、次の町ドーソンまで川を下り、仕事を探すと言う。人間社会よりも自然を愛する、そんな男だ。その彼が僕のことを気に入ってくれているようだ。魚の居場所を探しながら二人で入り組んだ水路を巡り、太陽が北西へとだいぶ傾いたので、まるで川の流れと時の流れに乗っているかのように、自然と島へ共に上陸してテントを張った。
川を望む森の中で焚き火にあたっていると、ヤマアラシが一匹、ごそごそと目の前に現れた。アルが、「あれを捕りたいか」と聞いてくるので、「美味いのか」と聞き返すと、彼はウインクをしながら立ち上がり、たちどころに捕獲した。
彼の方法は異なっていたが、先住民の伝統的なヤマアラシの調理方法は、まずトゲを抜き、そして内臓を取り除き、焚き火で毛を焼いて取り除き、煮てスープにする。
臭みなどはとくにない、脂肪が比較的に多い、うまくて柔らかい肉だった。
一晩の食事を与えてくれた母なる自然と、捕らえ調理したアルに感謝する。
総距離: 635キロメートル
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2016年7月8日, 38日目
川幅が増していく
川幅が増していく
進めば進むほどに、水量が、川幅が増していく。岸が遠くなるので、どのぐらいの速度がでているのか、見当がつき悪い。
すでに気付いている人もいると思うが、この文章の最後に書き込まれているリンクをたどると、現在地と移動軌跡が地図上に表示される。人型になっているアイコンが現在地だ。位置を示すアイコンまたは写真をクリックすると、そのとき書かれた文章と写真が表示される。
総距離: 671キロメートル
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2016年7月9日, 39日目
ムースのペア
ムースのペア
今夜テントを張っている場所のすぐ脇にある、本流から外れて水の流れが滞っている所で、ムースのつがいが水につかりながら水草を食べていた。僕を認識しているようだが、百メートルほど離れているのでその場を離れない。双眼鏡でゆっくりと観察できた。雄の角はまだ小さいが、それでも顔の長さほどはあり、雌には角がない。引き締まった巨体を持ち、威風堂々としている。
数日前に、釣ったグレイリングを味噌漬けにしたものを、さらに焚き火の遠火で熱していたが、それを今夜細かく切ってフライパンで煎った。これがかなりいける。ご飯にまぶしてがつがつと食べた。
ここ三四日ほど、積乱雲が発達しており、よく雨が降る。空が開けているので、黒い雲の下で筋となって流れ落ちている雨が、風に流されて迫り来るのを見て取ることができ、うまくテントの中に待避できている。だが、移動距離は稼げていない。
総距離: 693キロメートル
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2016年7月10日, 40日目
豪雨
豪雨
積乱雲に飲み込まれた。待避してタープかテントを張り雨風を避けるための岸を見つけられず、雷鳴が轟くなか、川の上で漕ぎながら、激しい雨に長時間打たれた。
だいぶ濡れてしまい、ゴアテックスのウェアが上下共に劣化して、防水性を失っていることに気付いた。これではビニール合羽の方がましだ。それほど古い物ではないので、まだ使えるものと思っていたが、どうやら僕が激しく使いすぎているようだ。なんとかしなければならない。
総距離: 747キロメートル
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2016年7月11日, 41日目
ホワイト川
ホワイト川
ユーコン川にホワイト川が合流した。二つの水が混じり合う境界線では、ユーコン川の深緑色をした水の中で、ホワイト川の茶色い水が積乱雲のように沸き立っていた。二つの大きな川が合流する場所では、地球の営みを見ることができる。
総距離: 799キロメートル
2016年7月12日, 42日目
増水ここ一週間ほど、連日雨が降っている。まだ青々とした葉が茂り、根は土を抱えたままの大木が、川の中程の浅瀬に横たわっていた。
川幅一キロメートルはあるだろうこの大河が増水しており、夜上陸した時よりも朝出発する時の方が水位が高い。折りたたみカヤックを使った単独行の宿命で、野営のため上陸した際に水面よりも高い位置へカヤックを持ち上げるには大変な時間を必要とするので、しかたなしに水際に置いたままで流されないようロープで岸に繋ぎ止めているだけなのだが、朝起きてみると、水位が上昇したためカヤックが岸を離れて淀みの中に浮いていた。
温暖化の影響を受けていると思われる。
総距離: 878キロメートル
2016年7月13日, 43日目
ドーソン
ドーソンに到着。ここがユーコン川沿いで最後の町となり、ここから先の海までは、陸の孤島の先住民が住む小さな村だけとなる。
総距離: 919キロメートル
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2016年7月14日, 44日目
伝えることの価値
カナダの最果てにある観光と金鉱の為の小さな町だが、ダメになったゴアテックスのウェアの代わりとなるレインコートを手に入れることができた。
また、ホワイトホースからの転送手続きをしていた、半分死にかけている太陽電池パネルの代わりとなる購入品が、ここドーソンの郵便局に届いていた。
これでまだ冒険に挑戦し続けることができる!
太陽電池パネルが届いたので、ここまでのことを整理してみると、衛星経由で進捗を投稿するのに、なんだかんだで毎日二時間は消費している。漕ぐ時間の三分の一は失っていることになる。すなわち進める距離も三分の一を失っているということで、このペースでは、アラスカに冬が来る前にベーリング海へたどり着くのは難しい。
そこであらためて優先順位を整理してみた。
独自のサーバーを構築し、衛星経由で毎日リアルタイムにFacebookとブログとTwitterに進捗を投稿しているのは、僕だけだろう。一方で、深い自然の中にいて、存分にそれを味わいたいにもかかわらず、毎日電子機器を触っていることにストレスを感じているのも、正直なところである。
気持ちとしては、漕ぐことに専念して、とにかくベーリング海まで一気に行きたい。しかしバランスの問題でもある。たとえ源流から河口までの行程を二つのセクションに分けて、別の年にその後半を行うことになったとしても、今回は独自の試みを行っているのだから、ここでその試みを止めてしまって漕ぐことに専念するより、このまま投稿を続けてみる価値はあるだろうと思っている。
「伝えることの価値」だろう。
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2016年7月15日, 45日目
修理したり改良したり
郵便局に行って太陽電池パネルを受け取り、また、色々な物を直したりモディファイしたり(いつも色々なものを直したり改善したりしているのだ)。
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2016年7月16日, 46日目
重量と容量の削減
食料の買い出しをする。また、重量と容量を削減するために、余剰な装備を切り捨てる作業をする。
明日出発してこの町を離れるだろう。次は川からの国境越えだ。カナダを離れてアメリカへ入国する。
2016年7月17日, 47日目
黒クマと対峙
雨が止むことなく降り続け、土砂降りや強い向かい風にも襲われながら、休んだり、食べ物を取り出したり、冷えた体を温めるために服を着込んだりする場所もないままに、80キロメートルを漕ぎ続けた。午後11時に雨がやっと止んだので、服を着るために、小石のわずかな幅しかない岸へと上陸した。
服を着終え、ふと顔をあげると、黒熊が20メートル先にいた。僕に興味を持ち、近づいてくる。僕はベアスプレーどころか、ナイフ一つ身につけておらず、丸腰だった。
両手を高く持ち上げ、左右に振って、体を大きくして見せた。「こなくていいよ」と、声に出して話しかけ続けた。そして、熊に体を向けながら、ゆっくりと後ずさりした。しかし熊の様子は変わることなく、のしのしと僕に近づいてくる。
こんどは森の熊さんを歌ってみた。森の熊さんとはまるでネタのような話だが、「ある~日~、森の中~」と歌ってみた。しかしこいつも効果がない。
二分ほど、ゆっくりと後ずさりをしながら熊との距離を保ち続けていると、やがて熊はカヤックの真横に到達した。僕の服を入れている防水バックの匂いを嗅いでいる。そのままカヤックに興味を移してもらいたかったが、すぐに飽きて、再び僕に近づいてきた。
お前よりも俺の方が強いのだと示さなければならない。両手を高く上げ、振って、「こなくていいぞ」と大きな声で話しかけながら、さらに軽くジャンプしてみせた。するとこんどは、熊はハッと気付いて驚いた様子を見せる。そして向きをかえ背中を見せると、近づいてきたときよりも早い速度で僕から逃げて、森の中へと消えていった。
総距離: 1,000キロメートル
2016年7月18日, 48日目
カヤックで国境を越える
国境をカヤックで越え、アメリカに入国した。ゲートやフェンスなどは何もなく、ただ山の中を川が流れているだけだが、ちょうど川岸の境界線上に両国の旗が立てられていたのと、境界線上の森が幅約十メートルの帯状にきれいに刈り込まれていたので、それが国境線なのだとはっきり分かった。漕がずにただ流されながら、その新たな体験をゆっくりと楽しんだ。空も入国を歓迎するように、その間だけ雨も止み、雲間に青空がのぞいた。
この国境越えは一つのマイルストーンであり、総距離も昨夜にちょうど1,000キロメートルへと達していた。
ここ二日間のあいだ雲は低く垂れ籠めていて、雨が降り続いている。向かい風に吹き流された冷たい雨粒を顔面に受けながら漕ぎ続けると、体力を消耗する。
僕は常に北へ北へと移動し続けていて、さらに緯度の高いこの地方の季節も急速に変化し続けているので、気象メカニズムが今どの様になっていて、そしてどの様に変化しているのか、とても読みづらい。六月のあいだは雨はたまに降る程度だったので、テントの中で止むまで待機していればよかったが、いまは降るのがあたりまえの状況になっているので、天気に関わらず行動している。
総距離: 1,084キロメートル
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2016年7月19日, 49日目
入国審査官への直通電話
カナダ・アメリカの国境を川から越えたが、そこにゲートコントロールがあるわけではないので、このままほったらかしにしていれば不法入国になってしまう。国境を越えてから川沿いで最初にあらわれるイーグルという村で、みずから入国手続きを行った。
コインランドリーの屋外の壁に、無造作に直通電話が取り付けてあった。ダイヤルはなく、受話器を取り上げるとそのまま入国審査官に繋がった。空港で受けるような厳しい詰問ではなく、穏やかに必要なことを質問され、答えていく。B2観光ビザを持っていて十分な滞在期間があることや、何処から何処へ向かってどのような予定でカヤックを漕いでいるのかなどを伝えると、五六分で許可をもらうことができた。
コインランドリーの屋外の壁に、無造作に直通電話が取り付けてあった。ダイヤルはなく、受話器を取り上げるとそのまま入国審査官に繋がった。空港で受けるような厳しい詰問ではなく、穏やかに必要なことを質問され、答えていく。B2観光ビザを持っていて十分な滞在期間があることや、何処から何処へ向かってどのような予定でカヤックを漕いでいるのかなどを伝えると、五六分で許可をもらうことができた。
2016年7月20日, 50日目
地球の息づかい朝方テントを撤収している時には雨が降っていたが、その後一日気持ちよく空は晴れた。久しぶりにみる青空だった。
しかし向かい風は強烈だった。カヤックを進めるのにもコントロールするのにも、パドルがとても重かった。
風はこれまでのところ、ほぼ向かい風だ。これからも進む方向は北西か西になるので、想定範囲ではあるのだが。
雨か風がない日は、めったにない。しかしこの大きなスケールの大地で漕いでいると、大気の循環は地球の息づかいなのだとなっとくし、大変な苦労をするのではあるが、それでもこころよく受け入れられている。
総距離: 1,165キロメートル
2016年7月21日, 51日目
なかなかの良い天気朝テントをたたんでいる時にはしっかりと雨が降っていたが、日中漕いでいる最中は、曇り空と時折降る小雨だった。今日は向かい風は吹かず。なかなかの良い天気だった。
今日も約80キロメートルを漕いだ。
総距離: 1,246キロメートル
2016年7月22日, 52日目
シルト舞う水川の水にはシルトが大量に浮遊していて、水面下一センチも見通せないほどに茶色く濁っているが、太陽の光を受けると、滑らかに光る茶色や波立つ茶色のテクスチャーが美しい。
フィルターを通さずに濁ったままの川の水でご飯を炊いているが、土臭くなるかと思ったもののとくに目立った味の変化はなく、美味しく炊けている。川は人間の手による何ものにも汚染されていないので、煮沸してしまえば害になることはない。ユーコン川の水で炊いたご飯。おつである。
サークルという人口100人の村に着いた。明日食料を補給する予定だ。
そろそろ北極圏へ漕ぎ入ることになるが、とても楽しみである。
総距離: 1,333キロメートル
2016年7月23日, 53日目
光の中で時間と空間を失う
サークルを過ぎ、ユーコン・フラットに入ってから、川の様子が一変した。
川幅は無限の長さとなり、無限個の島で埋め尽くされている。川の流れと島が網の目状に交錯し、どれが本流でありどれが支流であるのか、よく見分けがつかなくなった。丘はなくなり、薄くてまっ平らな島に生えた林と、水が、地平線に広がるだけだ。
明るい太陽が降り注ぎ、川のさざ波で反射し、周囲の空間は光で埋め尽くされた。もうなにがなんだか分からなくなった。もはや自分が空間の何処にいて、どのような速度で移動しているのか、分からない。空間を失うと、時間の感覚も失った。沈むことのない太陽とあいまって、もう今が何時であるのかと問うことは意味を失い、そして時間の進む早さも意味を失った。空間も時間も、相対的に測る基準を失ったのだ。ただ光満ちあふれる空間に僕は浮いているだけだ。
東京が一瞬頭をよぎった。もはや東京もよくわからなくなっていて、あれだけの狭い空間にあれだけの人間が集まっているのは不思議だった。いまいるこことは異なる遠い場所でおきている、世界のある一つの状態に過ぎないと感じた。
地図にも興味を失い、時計にも興味をうしない、速度にも興味をうしない、ただ光の中に浮くだけの時間を過ごした。
テントの入り口のチャックが摩滅し、閉まらなくなってしまった。虫除けのネットしか使えない。ここから先、北極圏をかすめながら漕ぎ続けるのであるから、寒さで寝れなくなるし、そもそもいますでに、毎日降る雨がテント内に進入してしまう。修理はできそうにもないし、テントを買える町はもうない。テントは衣服の次に重要な、生存のための道具だ。これはちょっとアウトかも。
長靴、太陽電池パネル、上下の服の防水機能、液体燃料ストーブのパッキン、そしてテントと、今回もいたる物資が壊れてきているが、製品の耐用「年数」ではなく、製品に使われている素材の耐久「時間」というものを、まだまだ経験不足で把握しきていない、ということになる。
総距離: 1,372キロメートル
2016年7月24日, 54日目
テント修理
昨夜からテントの入り口のファスナーが閉まらなくなっていたが、修理を試みたところ、ミシンの縫い目をほどかなくても交換できる構造になっていることがわかり、ウォルマートで買っていた安物のマルチツールを使って留め金を外し、スライダーを予備品に交換することができた。試行錯誤しているときに、そのミシンの縫い目を一部切ってしまったが、強度的に大きな問題にはならなさそうだ。
これでまだ先へ進むことができる。
昨日今日と、島にテントを張っている。熊の心配が減り、なによりもアラスカの強烈な蚊が劇的に少ない。今夜の場所にはまったくいない。島には動物が少ないから、蚊の養分が足りずに繁殖できないのであろうと考えている。
総距離: 1,409キロメートル
2016年7月25日, 55日目
北極圏
とうとう北極圏に漕ぎ入った。北緯66度33分を越えたのだ。北極圏へ漕ぎ入るのも、踏み入るのですら初めての体験である。人間が勝手に引いた国境線とは違い、太陽と地球の位置関係から自然が引いたゆるぎない線であり、その喜びは大きい。
夏至はとうに過ぎているものの、まだまだ白夜は続き、星を見ることがない。ヘッドライトは漕ぎ始めてこのかた一度も使っていない。屋根のないテント生活を続けているので、暗闇を見ることがなく、体も眠る時刻というものをなかば見失っている。
総距離: 1,453キロメートル
2016年7月26日, 56日目
ユーコン川と共に暮らす
食料補充のため、アメリカ合衆国のフォートユーコン村を訪れたのだが、偶然にもシャーリーの従姉妹であるジョイスとイダに会った。シャーリーとは、ユーコン川のさらに上流に位置するカナダのカークロスで知り合っていた。さらなることに、イダはカナダのオールドクロウというユーコン川の支流沿いにある村に住んでいて、僕の友達で古里がオールドクロウであるベブとその家族をよく知っていた。ベブとその家族とは、ユーコン川のさらに上流に位置するカナダのタギッシュで知り合っていた。世界は狭いなぁ。
先住民の人々はユーコン川と共に暮らしているのである。カナダとかアメリカとかの国境に拘わらず。
総距離: 1,471キロメートル
2016年7月27日, 57日目
ユーコン・フラット
ユーコン・フラットは凄いところだ。広大な青空の中を、直接見ることはできないが、気流の帯がうねりながら走っているように、湖のように広い川の中を、直接見ることはできないが、水流の帯がうねりながら走っている。川の中を川が走っているのだ。水の中に見えない水の道があるのだ。
この本流を見つけなければならない。なぜかと言えば、本流を外れてしまうと、至る所に浅瀬という罠がしかけられているからだ。浅瀬に座礁してしまうと、水流に対する角度などの条件が悪ければ、僕の大きなフォールディング・シー・カヤックは、水圧に負けていとも簡単に折れてしまうだろう。また浅瀬に乗り上げた流木にカヤックを引っかければ、一発で折れる。
ところがこの浅瀬は、水が濁っていて一センチの見通しもきかず、直接見ることができないので、パドルがガリッと不意に小石を引っかくか、ラダーがゴリゴリと小石に当たるかしないと、そこにあることが分からない。すなわち、浅瀬が近いと分かった時には、もう座礁直前なのであり、脱出のしようがない。実際に一度座礁して、ひやりとした。
湖のように広い川のなかに、うねりながら流れるもう一つの川のラインをイメージし、そのなかを漕いで行く。
さざ波が立っていて水面のテクスチャが異なる場所があれば、そこは浅瀬である可能性が高い。もちろん風でもさざ波が立つので、それは見分けなければならない。また流木が水面から顔を出していれば、そこは間違いなく浅瀬だ。浅瀬は本流でないことが多い。
カヤックを漕がずに流して、風に流される角度と速度も計算に入れながら、水の流れる方向を読む。水が強く流れている方向が本流であることが多い。
水面の凸凹も見る。川の水面は単なる水平面ではない。
もちろん陸地の形も見る。
経験からくる勘も使う。
ところがそれでも難しくて、本流を見分けられないときがある。また見分けられたとしても、流れが右から左へ、または左から右へと曲がる方向を変えたときに、内周の浅瀬から外周の本流へとカヤックを移動させなければならないが、川幅があまりに広すぎるのでカヤックの速度では横断できないことがしばしばある。川のスケールに対して、カヤックの速度が遅すぎるのである。横断できなければ、いやおうなしに浅瀬へと吸い込まれてしまう。
また浅瀬だけではない。幾多にも分かれて毛細血管のように張り巡らされている支流へと、飲み込まれてしまうこともある。
ユーコン・フラットに入ってからは、ただ水に流されながらカヤックの上で昼食を食べたり、歯を磨いたり、写真を撮ったりするのが難しくなった。常にカヤックを前方へ向けて、本流がどこか、浅瀬の危険は迫っていないか、注意を払っていなければならないからである。
総距離: 1,516キロメートル
2016年7月28日, 58日目 バイオリンの調べを北極圏で
北極圏でバイオリンの調べを聴いた。
ユーコン川の上にカヤックを浮かべながら、池田開渡のアルバムを流した。空と水と地平線しかない空間から、旋律が染み出てきた。
これ以上に贅沢な聴き方を僕は知らない。
総距離: 1,569キロメートル
2016年7月29日, 59日目
シベリアからのストーム
今日はどうやらシベリアからきたストームに襲われたらしい。テントをたたんで漕ぎ始めたときは小雨がぱらつく程度だったが、すぐに雨と風と波が出始めた。徐々に強くなり、漕ぎ始めて二時間ほどするとカヤックをコントロールするのが難しく、危険な状況になったので、島へ一時待避した。
積乱雲がもたらす集中的な強い風雨や、広範囲にしとしとと長く降る雨などは当たり前にあるので、それらを避けていれば先へ進むことはできず、ゆえにかまわず漕いでいたのだが、今朝はそれらとストームとの区別がつかなかった。緯度経度も地形も、そして季節もぐんぐんと変化しているので、空の様子から気象をうかがう経験則を蓄積しづらい。
徐々にストームのシーズンへと入り始めたのだろう。
黒熊に対峙したとき、まだ比較的冷静に対処できたのは、ユーコン川源流のウィンディー・アームで、あらがいようのない波風に揉まれて恐怖を味わったからだろう。熊とはまだ対等にやりとりできる。だが自然が相手のときには、その力が人間の技量の限界線をわずかにでも越えてしまえば、もうどうにもならない。たとえるならば、どうあがいても時速4キロメートルの速度しかでないカヤックで、時速4.1キロメートルの水流に乗ってしまえば、いやおう無しに流されるしかないのだ。
総距離: 1,596キロメートル
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2016年7月30日, 60日目
経験の積み重ね
テントの床の防水性が失われ、浸水するようになってきた。外張りは紫外線で劣化し、引っ張ると裂けるようになった。うむ・・・・・・ベーリング海から迫り来る秋のストームを乗り切れるか。
グランドシートを一回り小さく畳んで地面に敷くとか、ダクトテープで補修するとか、まだ工夫の余地はあるかもしれない。
装備全般において、長期遠征ではそれを酷使するから、素材劣化をしっかりと計算にいれて想像以上に早いサイクルでの買い換えが必要なようだ。これもまた一つの経験の積み重ねのようだ。
ストームが過ぎるのを待っているが、停滞するのはかなり久しぶりのことで、気持ちは先へと焦るが、体にとってはよい休息となってほしい。
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2016年7月31日, 61日目
中間点
雨だの風だの言っていると進めなくなるので、航行不能でないかぎりは漕ぐことにしている。なので、ストームの風はまだおさまっていないものの、出発した。
空は気持ちよく晴れ渡っていたが、強烈な向かい風はカヤックを押し流し、舳先を進行方向へ向けているだけで全体力を使ってしまうほどだった。
今日はもうクタクタである。
でも横になる前に、次の雨に備えてテントを補修し、今日の進捗を日本語と英語で書かなければ。
いつのまにか、総距離が1,600キロメートルを越えていた。これで計算上は半分を漕いだのだ。
ユーコン川、長げ~。もう、生まれてこのかた、ずっと川の上で生活している気がするよ。二回目の人生を過ごしている、という感覚だよ。
総距離: 1,638キロメートル
2016年8月1日, 62日目
地球
何処に住んでいるのかと今聞かれたら、真顔で答えるだろう、「地球」って。
総距離: 1,676キロメートル
2016年8月2日, 63日目 ユーコン・フラットの縁を望む
空と水との境目には森の地平線しか広がっていなかったが、はるか彼方に山が望むようになってきた。数週間続いたユーコン・フラットも、終端が迫っているようだ。
ここのところ急速に空気が冷え始めていて、冬の到来が迫っていることが分かる。ブルーベリーや鮭などは、とうに収穫の時期だ。夜というものもそろそろ始まるようで、日没後はだいぶ暗くなり、岸にテントを張れる場所を川の上から探すことが困難になってきたので、雨風をさけて夜通し漕ぐという戦略は使えなくなった。
アラスカでは、駆け抜ける春夏秋を三ヶ月で楽しむことができる。
総距離: 1,731キロメートル
2016年8月3日,64日目
デボラ
食糧補充のため、人口わずか20~30人の先住民の村、スティーブンス・ビレッジに立ち寄り、集会所のような役割をしている建物を訪れた。食料品を売っている店など村にはなかったが、そこで出会った、代々この土地に住んでいるデボラとその娘サラが、彼女らの米とスパゲティーとラーメンを分けてくれた。さらにデボラは、今お腹は空いていないかと僕に尋ねると、一度彼女の家に帰りスパゲティーとコーヒーを作ってきてくれた。
彼女は母親から、そして先祖代々、「旅人には親切にしろ」と教えられてきたのだそうだ。
わずか二三時間の滞在ではあったが、彼女らの暖かさが、次なる一漕ぎの力をくれた。
総距離: 1,753キロメートル
2016年8月4日,65日目
広大な平原の終わり
広大な平原が終わり、地平線が消え、川の両岸に丘が戻ってきた。川幅がぐっと狭くなり、一キロメートルを少し切るぐらいにまでなった。
今日は一日中霧雨が降り続き、丘に囲まれた川に雲と霧が立ちこめていた。霧が立ちこめる川は美しい。
急速に温度が下がりつつある。風が冷たくなり、朝晩はダウンジャケットを着るまでに冷え込んできた。
総距離: 1,792キロメートル
2016年8月5日,66日目
地球を守る
遠征を始めた頃に、「一つには地球を守るため」と言っていたが、今ここアラスカでもそれは理に適っていると思う。
たぐいまれなる地球を存続させるためには、自然と人間を理解しなければならない。
自分の足を動かして、奥深い森の中に入って行けば、自然を理解することができる。
人間を理解するためには、自分自身を理解すればいい。たった一人で自然の奥底に入り、孤独や恐れや喜びや感動という感情にめんと向かい、またそれを眺めるおのれ自身も知ることができれば、自分自身を理解することができる。
星はまだ見ないものの、地平線の下に太陽が沈んでいる時間が少しずつ長くなってきている。またここのところ、空にはたいがい雲が覆いかぶさっている。なので、以前に比べれば夜は暗くなり、寝やすくなった。強いコーヒーを飲み続け覚醒し続けていたような白夜の日々からは、解放されつつある。
この区間には島がないため、今夜は大陸につながる岸に上陸して、テントを張った。島にはあまりいない蚊が、ここには多い。動物も多い証拠だ。蚊の繁殖に必要な栄養源の血がここにはある、ということなのだろう。テント脇の森の中で、動物が踏み、枝の折れる音がする。用心のため、ナイフをパドルに差し込み槍にして、枕元に置いた。
総距離: 1,847キロメートル
2016年8月6日, 67日目
巨大な動物がテント脇に
午前四時半、何かとてつもなく大きな動物が歩き回る音で目が覚めた。テントのすぐ脇で何かをしている。その気配の大きさからして、熊かムースのどちらかと思えた。しばらく歩き回りながら何かをしたあとで、荒い鼻息をたてながら、川の中にジャバジャバと大きな音をたてて入り、テントの脇をすり抜けていった。
僕を見つけて驚き、襲撃されては困るので、その姿を確認するためにテントのチャックを開けて外を見ることはできなかった。
小石の岸なので足跡は残っていない。周囲の痕跡を探したところ、五十メートルほど離れた砂地にひづめの跡があった。熊の足跡はみつからない。直接的な証拠にはならないものの、ムースであったのだろうと思っている。小石の岸を歩く足音はかなり大きかったので、ひづめが石を踏む音だったのかもしれない。
熊にも個性がある。もしテントの中にいるとき熊に襲われたら、ベアスプレーは役立たずだ。パドルにナイフを付けた槍も気休めだ。単独でアラスカに入るには、銃がいるなぁ。
総距離: 1,902キロメートル
2016年8月7日,68日目 追い風の運
時々軽い追い風が吹いた。今日は運が向いていた。
いくつかの岩が川の中央に顔を出している急流を、通過した。その岩は、水中からあまり高く出ていないので、発見しづらい。
総距離: 1,948キロメートル
2016年8月8日,69日目 サーモンの燻製
日本人に顔立ちがそっくりな、日に焼けた威勢のよい八百屋のような先住民の人から、まだ穫れたばかりで、スモーク小屋で薫製中のホワイト・サーモンの中から、一番よく薫製されているものを二匹選んで売ってもらった。彼が、家族と40匹の犬達の長い冬に備えた食料として、伝統的な手法であるフィッシュ・ホイールという罠をユーコン川に仕掛けて穫った鮭である。日本の鮭とばと違って、切り方が独特だ。
すぐに食べてみたが、とても美味い。一切れで10キロメートルは漕げる。そしてこれを皮ごと食べれば、必要な栄養がとれそうだ。
薫製なので日持ちがよく、しかもそのままであっても食べられる。このカヤック旅には最適な食料だ。
その土地の伝統的なものが、その土地を旅するにはよいのだろう。
テントの外張りのチャックが閉まらなくなってきた。スライダーは交換してきたのだが。完全に閉まらなくなるのは時間の問題だ・・・・・・ここがしまらないと雨を防げない。予備のスライダーはもう出入り口の修理に使ってしまったから、どう考えてもこれは直せる見込みがない。うむ、どうしよう。とりあえずガレナという村まで一週間もつかな・・・・・・
総距離: 1,996キロメートル
2016年8月9日,70日目 閉まらぬテントの出入口
村の人が、自分の使っているペンチをただで譲ってくれた。先住民の村々の親切心、ユーコン川で受け継がれた魂なのだろう。
テントの外張りのファスナーが完全に閉まらなくなったが、ペンチでスライダーを軽く潰してみると、また閉まるようになった。だがこの荒技で、いつまでファスナーが機能するのか分からない。所詮無理なやりかたで、すぐにまた閉まらなくなるのか、それともしばらく持つのか。原野の中でテントが壊れ雨に降られることを考えると恐ろしい。
2016年8月10日,71日目
空だけの世界
風が止んだ。まったく空気が動かない。ユーコン川の水は流れているにもかかわらず、水面は空を映し出す大きな鏡になった。別世界が、さらに別世界へと変わった。空と水だけの世界だったのが、空だけの世界になった。
タナナ川が合流してから、様相がまた一変した。水量が一気に増し、川幅は一キロ以上になっただろうか。大河がさらなる大河になった。
合流地点以降、水量が増したからなのか、地理が変わったからなのか、テントを張れる砂や小石の浜がなくなってしまった。今夜はむりやり藪の中にテントを張っている。
この川は上流からその姿を常に変え続け、飽きることがない。
昨日村人からキングサーモンとムースの肉をもらっている。早く食べないとダメにしてしまうので、今夜は野菜とキングサーモンを煮込んで、それだけを食べた。明日の朝も残りのキングサーモンだけを食べるつもりだ。明日の夜はムースの肉だけを食べよう。
3人もの村人が、「グットラック」と言って食料をくれた。
テントの中から虹が見える。
2,000キロメートルを突破した。
総距離: 2,045キロメートル
2016年8月11日,72日目
一日生きることができた幸せ
今日も大河のまれることなく、今日も獣の餌食になることなく、今日も食べ物を口にすることができ、今日も雨風を避けて寝ることができ、今日も一日生きることができた幸せ。
総距離: 2,076キロメートル
2016年8月12日,73日目
テントを張れる場所がない
テントを張れる場所が何処にもない。島にも、本土にも。それどころか上陸する場所すら見つけるのも難しい。難民のようにさんざんキャンプ地を探し回り、日没間近になってやっとわずかな湿地を発見した。カヤックを水上に引き上げる場所がないので、水に浮かべたままロープで係留する。カヤックから荷物を取り出すのが困難なので、火を使えず、パンと薫製鮭だけの夕食。地面が斜めなので、エアマットの上でずり落ちながら寝る。
ペンチでスライダーを潰し応急処置したテントの外張りのファスナーが、もう閉まらなくなった。再度潰す。いつまでこの繰り返しが有効なのだろうか。
総距離: 2,155キロメートル
2016年8月13日,74日目
頑張れスライダー
頑張れ、スライダー!まだ働けるはずだ。もう少しのあいだテントフライのジーバーを閉めて、俺を雨風から守っておくれ!
今日もまた、幅数キロメートルの大河をもくもくと漕ぐ。
総距離: 2,215キロメートル
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2016年8月14日,75日目 大波を生む大河
ユーコン川は今や幅二キロメートルにもなる大河なので、地上にいれば「今日は風が吹いていて小枝が揺れてるな」という程にしか思わない風が今日は吹いたのだが、川面にはカヌーが木の葉のように揺れる波が立っていた。風が水面を走り抜ける距離が長いほど、波が立つのだ。
空は八割方雲に覆われているが、残りには青空がのぞいているので、空は全体的には明るく、四方のあちらこちらで雨が降っているのがよく見渡せる。曇りと雨と日差しと風がせわしなく巡る一日であった。
総距離: 2,267キロメートル
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2016年8月15日,76日目
ジョン・コルタ
ガレナ村に住むジョン・コルタが彼のテントを貸してくれた。予備テントとしてカヤックに積んでいる。いま手荒な方法で応急処置しているテントが完全にダメになってしまったとき、彼のテントを使うつもりだ。予備テントの分だけ食料を積むことができなくなったが、それでもテントは、もしそれがだめになったら遠征を中断せざるをえないほどに重要なものなので、とてもありがたい。
今朝の食事は、ムース肉のラーメンである。美味い。
渡り鳥の群れをよく見かけるようになった。大河なので、群は遠く離れており、いったいなんの鳥なのか確認はできないが、おそらく鴨なのではないだろうか。ある場所などは、千羽近くはいたと思われ、まるで虫のように群れ飛んでいるな、と思ったほどだ。
今年は雨が多いせいなのか、相変わらずテントを張れる場所が見つからない。今日むりやりテントを張っている岸は、低木と草に囲まれた場所で、あまりにも羽虫が多すぎて、食事もろくに作れず辟易している。
総距離: 2,290キロメートル
2016年8月16日,77日目
コユクック川の合流
三番目に大きな支流であるコユクック川が合流し、さらに川幅が増した。そして西へ西へと向かっていた川は、その方角をいま南へと変えた。
今日は黒熊とビーバーを見かけた。
総距離: 2,347キロメートル
2016年8月17日,78日目
空と水が一つになった
空と水が一つになった。
ユーコン川が、山脈の縁にそって、直線的に流れはじめた。どこまでも遠く川が見渡せるようになり、その先には地平線のかわりに水平線が見えるはずだった。だが、空は雲のない均質な青空で、風のない川面はさざ波一つない空を写す鏡となっていたので、空と水面の見分けがつかなくなり、境目が分からなくなった。境界である水平線が消え去ってしまった。僕を取り囲む360度の空間すべてが繋がり、一つの宇宙になった。
朝方、気温は5度まで下がっていた。夏から冬へと急激に変わりつつある。
総距離: 2,403キロメートル
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2016年8月18日,79日目
高波
漕ぎ始めから、南からの向かい風が吹いていた。徐々に風が強くなり、途中からシーアンカーを使い始めた。三時間で13キロメートルほど進んだが、さらに風が強くなり、また地形的にも波風が強くなる場所なのだろう、白波の立つ波が危険なほどに高くなった。高波を避け、岸ぎりぎりに沿って漕ごうとしたものの、岸に渦巻く逆流に逆らえず、下流にまったく進めない。運よくまさにそこに、ながらく放置されているだろう朽ちかけた小屋が建っていたので、今夜はここで寝ることにする。
波が高いときの写真や映像は、漕ぐ手を休めるわけにはいかないので一枚もないのだが、何かうまい手はないのだろうか。
下流域の状況が徐々に見えつつある。風が吹けば危険なほどに波が高くなる場所があり、しかしながら待避できる岸はほとんどない。ここから先の海までは、風のある日は漕ぐことを断念せざるをえないのかもしれない。
気持ちよく漕いでいる日は、書く時間が短くなるので文章もそこそこになるが、状況が悪くてあまり漕げない日は、書く時間ができるので文章も長くなるな。素晴らしくて感動する状況もより多く伝えたいのではあるが。
総距離: 2,416キロメートル
2016年8月19日, 80日目
焚火を楽しむ
今夜のキャンプ地は最高だ。流木が山ほど転がっているので、焚き火が思う存分できる。焚き火のないキャンプなぞ、味噌のない味噌汁のようだ。
昨日に引き続き、今日も丸一日南からの向かい風が吹き、波が高かった。パドルが泥をかき回しているように重い。人が歩く速度ほどしか出せず、体に必要以上の負荷をかけても、31キロメートルしか進めなかった。
今夜は打ち豆(乾燥大豆)の炊き込みご飯にした。豆ご飯のようで(実際豆ご飯なのだが)、うまみとシャキシャキ感がよい。出汁として日高昆布も持ってくればよかった。
総距離: 2,447キロメートル
2016年8月20日, 81日目
停滞して風雨の様子見
昨夜から雨が降り始めた。天候は下り坂であり、波と風にさらに雨が加われば、この流域ではなおのことリスクが高そうであり、また、まだここの状況を掴み切れていないため、今日は停滞して様子を見ることにする。
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2016年8月21日, 82日目
荒れる川
波と、南からの向かい風と、雨で川は荒れていた。波と風に流されて、場所によっては歩く速度の半分でしか進めない。漕ぐ手を休めれば流されるので、休息を取ることができない。雨は正面から顔をたたき続け、雨具の下まで濡れていた。漕ぐのを止めたいが、川が増水しているためテントを張れるような岸は沈んでいるようで、いつまでも見つからないまま一日中漕ぎ続けた。それでも35キロメートルしか進まなかった。
川が西から南へと流れを変える場所から河口までの下流域では、風雨のなかを漕ぐのはどうも無理のようだ。
テントの外張りのファスナーが、また閉まらなくなった。ペンチでスライダーを軽く潰すという応急処置は、数日しかもたないようだ。面でなく点で押さえるようになるだけで、あっという間に磨耗してしまうのかもしれない。
したがって、今夜からジョンに借りたテントに切り替えている。雨続きの天候なのでとても助かった。
総距離: 2,484キロメートル
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2016年8月22日, 83日目
増水し続ける川
テントの中で天候待ちをしている。
静かだ。雨がテントにぼたぼたさらさらと当たる音、風で木の葉がごーごーかさかさと揺れる音、水の流れが岸で乱れてぴちゃぴちゃころころと立てる音、鳥のぶるるという羽音か鳴き声、虫のかすかなぶーんという羽音、遠くで岸がどーんと崩れる音、それしかしない。
日増しに増水している。昨夜に石を水際に積んで目印にしたのだが、一日で10センチメートルも水位が上がった。川幅2キロメートルにはなる大河だから、いったいどれほどの雨が集まっているのだろうか。
この三日間雨が降り続いているので、その間だけでも30センチメートルは増水したのかもしれない。
川面には大きな黒い流木が累々と流れている。
Sカナダからアラスカにかけてのユーコン川全域を漕いできたわけだが、各村での話や僕自身の体験によると、今年は異常に雨が多く、また異常に蚊が少ないようだ。
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2016年8月23日, 84日目
止まらぬ増水
増水し続けており、この二日間で20センチメートルは水位が上がっている。何処かで川岸が削られ、水に崩れ落ちる大砲のような音が、一時間に数回ほど聞こえてくる。
しかしながら降水量は減ってきたようだ。
今年は雨がとても多く、川は増水し、テントを張れる岸は多くが水没している。岸には増水で流された木が打ち寄せられ、水際が覆われていることが多く、そこにカヤックを接岸することはできない。9月からはストームのシーズンとなり、その時はさらに水位が増すだろう。上陸してテントを張ることができなければ、川を漕ぎ移動することは不可能なので、第二セクションは次の村となるグレイリングで終えようかと検討している。
グレイリングまではあと三日かかるので、テントを張れる岸を見つけて二泊する必要がある。どのタイミングでいま天候待ちをしている岸を離れて出発するべきか、待てば水位が下がるのか、それても上がるのか、状況を検討している。
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2016年8月24日, 85日目
無数の流木
川面に無数の流木が浮いている。流木の間を縫うように漕ぐ。6月からすでに3ヶ月間この川を漕いでいるが、こんな状況は初めてだ。
ついさきほど岸から崩れ落ちた、まだ葉が付いた新鮮な流木ではなく、黒く変色した、数年は経過しているような流木だ。岸に打ち上げられていた流木が、再度流れ始めたのだろう。ユーコン川の水量のピークは雪解け時の6月頭のはずなのだが、今それすら越えた水位だということなのか?
両岸にも島にも、やはりテントを張れるような場所は見あたらない。今夜は誰かのフィッシュキャンプに上陸させてもらった。
海まであとたったの600キロメートルなのだがね。
五日ほど降り続いた雨が止み、太陽が少し顔をのぞかせた。今日は滅多にない無風。風が吹けば川は荒れまくり修羅場となるが、風がなければ平穏なパラダイスだ。
紅葉が始まっている。
総距離: 2,536キロメートル
2016年8月25日, 86日目
さらに増す水嵩
雨は止んだものの、川の水嵩は今朝もさらに増していた。アラスカ一帯とユーコン準州に降った雨が数週間かかってここまで流れてくるのだから、確かに現在地の天候にはかかわらない。
この非常に高い水位では、寝場所も波と風雨からの待避場所も水没しており、また先住民のフィッシュキャンプは村の近くにしかないようなので、いくら検討してもこの先に進むのはたんなる無謀なギャンブルになる。次の村グレイリングで、水量が減るまで待つことにした。
川面には無数の流木が浮いている。面白いことに、流木に囲まれながら流されていると、安らぐ心がかすかに感じられた。人間の本能とは面白いものだ。動きもしない流木に仲間を感じているのか、それとも流木に集まる魚のDNAをいまだに引きずっているのか。
やはり増水した川岸にテントを一張りするわずかな場所さえ見あたらず、63キロメートルを漕ぎきってグレイリングに到着した。
総距離: 2599キロメートル
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2016年8月26日, 87日目
お年寄りの話
村人から聞くところ、予想していたようにこの水位は、いつもならそれがピーク値であるはずの、春の雪解けによる水位と同じ高さだそうだ。いつもならばそこにあるはずの、村に面した浜がすっかり水没している。
村のおばあさんの話によると、この時期にここまで水位が上がったのは生まれて初めての経験で、このとても異常な状況に驚いているという。地球温暖化がもたらす気候変動を、誰もが心配しているようだ。
今日も引き続き水位は上昇し、一日で2~3センチメートル増えた。
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2016年8月27日, 88日目
水位上昇は止まる
水位の上昇は止まった。
水位が下がるのを待たずにいま出発するための方策を、色々と検討している。
この先に、テントを張れる浜があることを期待できるだろうか?いや、増水時に運ばれてきた小石や砂や土が堆積して浜となるのだろうから、増水している今は物理的にないのだろうな。
川岸にある、山肌が崩れた砂礫の上で、数日過ごせるだろうか?いや、30度の傾斜地にテントを張って数日過ごす方法を、思いつかない。整地する?いや、一人用のテントならともかく、今借りて使っているのは三人用のドームテントだ。それに、これまでの状況から判断するに、水位が上昇してもなお水面より高い場所にテントを張るべきだが、そのための余地はないだろう。
カヤックを岸にロープで係留して、カヤックの上で寝る?いや、それでは波や風や雨からの待避にはならない。また流木がぶつかってくるだろう。
支流ならば浜がある可能性がある。支流を遡ってテントを張る?いや、増水で流れは速いから、カヤックでは遡れないだろう。
いまのところ、水位が下がるのを待つ方が、漕ぎ進める可能性としては高そうだ。
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2016年8月28日, 89日目
心暖かい
グレイリング村で水位が下がるのを待っている間に、村の人々が次から次へと僕のテントを尋ねてきて、何かと面倒を見てくれ、食料を持ってきてくれる。なんと心の温かい人々なのだろう・・・・・・
脂が豊富にのった生乾きのキングサーモンは、驚くほどに美味しかった。僕の為に焚き火で焼いてくれた、数時間前に狩ったばかりのムースも、とても美味しかった。そして家庭菜園で作ったポテトも、これまた美味しかった。
ついに水位は僅かだが下がり始めた。
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2016年8月29日, 90日目
よい北風
水位は引き続き下降フェーズだが、まだ一日あたり2~3センチで、そのペースは上がらず。流域のほぼすべてがコンクリートとは無縁な土地なので、大地がスポンジのように吸い込み蓄えた水が徐々に川へと流れ出ているはずで、下降のペースが遅いのはとても自然なことなのだろう。
今日はよても良い北風が吹いている。
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2016年8月30日, 91日目
オーロラ
オーロラが夜空に舞った。そして北極圏からの風が吹き始めた。紙芝居を一枚繰るように、アラスカの季節が入れ替わった。
水位が下がるペースは、いぜん一日あたり2~3センチメートルと遅く、浜は水没したままだ。そして、この状態のまま出発したとしても、ベーリング海に着くのは九月の終わり。冬が訪れる。
冒険と無謀の境界線を越えるだろう。
ここグレイリング村でこのセクションを区切り、再度この村を訪れ海まで漕ぐことにした。 3ヶ月、2千6百キロメートル、別の人生を過ごしたような旅が、夏と共に終わり、新たな季節がいま始まった。
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2016年8月31日
シルバー・サーモン
グレイリング村から
ダグラスが運転するバギーの荷台に腰掛けて、土煙を上げながら彼方此方が窪んでいる村の道を走り、村はずれにあるユーコン川へと流れ込む小川に架かった橋へ釣りに出かけた。
オレンジ色のスピナーを投げ込み、まずシルバーサーモンがかかる。そしてグレイリングとハンプバックホワイトフィッシュを釣り上げた。この川は様々な種類の魚が釣れる豊かな場所で、そのほかにもノーザンパイクやキングサーモンが釣れる。
太陽光が深く斜めに射すようになってきた。深緑色だがシルトで濁ってはおらず数十センチは見通せる川面に、橋の陰が長くかかる。しばらくあたりがないので、緑色のスピナーに換えてみる。5~6回ほどキャストすると、グググっと今までにない強さで竿が引かれた。ピンク色の体が水面に舞った。大きなサーモンだった。
サーモンの口は堅くて釣り針が深く刺さらないようで、サーモンが逃れようと川を泳ぎ回っている間にルアーが口から外れてしまったことがある。こんどは同じ失敗を返したくない。釣り糸のテンションが緩まって針が外れないように、リールを巻き続け、そして岸に向かって歩き続け、一気に、力任せに岸へ引っ張り上げようとした。とても竿が重い。釣り上げなくても今までになく大きな魚だとわかる。どうにか岸に引っ張り上げると、さらに用心して、ルアーが外れて暴れた魚が川に跳ね戻らないよう、さらに岸の上を引きずりあげる。
66センチメートルのピンク色を帯びたシルバーサーモン、人生で一番大きな魚を釣り上げた。
2016年9月1日
グレイレング
グレイリング村から
昨日66センチメートルのシルバーサーモンを釣ったのと同じ小川、同じ橋で、今度は今までに見たことのない大きさの、52センチメートルもあるグレイリングが釣れた。カナダを漕いでいた頃にグレイリングを何匹も釣り食べていたのだが、一食に二匹ほど食べないと満たされていなかった。しかしこいつはあまりにも大きくて、二食分に分けないと食べきれない。味も今までに食べたものに増して美味い。
グレイリングという村の名前は、この小川で穫れるこのグレイリングに由来している。
なんとグレイリングの生態系の豊かなことよ。多種多様な魚が数多く穫れるということは、生態系全体が豊かな証拠だ。
2016年9月2日
変わり続けている社会に必要な鍵
グレイリング村から
グレイリングは先住民の小さな村だ。人口は僅か174人で、外部と繋がる道路はない。未舗装の滑走路に離着陸する小型の航空機が、主要な玄関口だ。観光地でもないこの村を訪ねるものは少ない。僕は不意にカヤックで現れた、まったくのよそ者なのである。
川岸にテントを張っていたそんな僕に、空き部屋があるから泊まってもいいよと声をかけてくれ、エドナ、ダグラス、ディビッドのディーコン一家は僕を迎え入れてくれた。
ベッドがあり、部屋があり、食事も頂いている。
そして、次のシーズンにこの村からベーリング海までの続きを漕ぐまで、カヤックと道具を預かってもらえる。
なんということなのだろう。たんなる親切心を越えた、他者を手厚く迎え入れる心は。変わり続けている社会に必要な鍵が、ここにある気がする。
2016年9月4日
ディーコン家の納屋にカヤックを預ける
グレイリング村から
次回グレイリング村からベーリング海まで漕ぐときのために、ディーコン家の納屋に預かってもらうカヤックと道具を、整理している。
カヤックは分解してナイロンバックに入れられるので、その大きさと重量の両方に超過料金がかかるものの、飛行機に載せることができる。しかしながらそれはハードケースではないので、空港で乱暴に扱われてカヤックが破損する可能性が大きい。実際、前回アメリカから日本へ運んだ時には、厚いナイロン生地でそのバックは作られているにもかかわらず、あちらこちらに穴が開いていた。なので、預かってもらうことで、いま日本へ持ち帰る時のリスクと、次回にアラスカへ持ってくる時のリスクが回避できる意義はとても大きい。
また飛行機で運ぶことができないストーブ用のガソリン燃料や、おなじく壊れやすい太陽電池パネルなども、預かってもらえるのはありがたい。
2016年9月6日
先住民の言葉
グレイリング村から
エドナは八匹の犬を飼っている。
白くて毛むくじゃらな一匹にだけ、エドナは彼女たちの言葉、先住民の言葉で、子犬のときから話しかけている。だからこの村の子供達が「カモン」と呼んでも、犬には理解できない。彼女が「オン」と呼びかけたときにだけ近寄ってくる。彼らの言葉の、いまやほんのわずかな後継者のうちの、一匹だ。
餌は、魚の頭や中骨などを、一日に一回、晩に与えている。鮭を燻製や瓶詰めにして、長い冬のために蓄えているのだが、頭や中骨など人間が食べない部分は、屋根の下に釣り下げ乾燥させて、犬の餌として蓄えている。
エドナの家は村の端に建っているので、庭はアラスカの深い森に繋がっている。そしてここは熊の国である。犬達は熊が入ってきたことを教えてくれると、彼女は言う。
また彼女は昔、女子犬ぞりレースにも参加していて、一位二位を争っていた。凍結した川の中島をぐるりと一周する。中島といってもここはユーコン川の下流域なので、一周すれば20キロメートルほどにもなる大きな島だ。
散歩には連れて行かない。鎖で庭に繋いだままだ。日本の常識だと「可哀想に」となるが、ユーコン川沿いの村々では普通であるように見える。じっさい、犬ぞり用に20匹近くの犬を飼っている人が、どのように毎日散歩をさせることができるのか、想像ができない。犬達を見てもとくにストレスを抱えている様子ではない。先祖代々何千年と続いてきた、たんなる愛玩動物ではない、犬と人との間の自然な営みなのかもしれない。
2016年9月7日
自然の恵を分ける
グレイリング村から
昨日の夕方に村の誰かが狩ったムースのレバーを、子供がエドナの家に持ってきた。生のレバーは大きなジップロックに入れられていたので、まるごと一匹分がエドナに分け与えられたのかと思ったが、どうやら違うらしい。各家に分け与えられたのだという。いったいどれだけ大きなレバーだったのか。そしてどれだけ大きなムースだったのか。もう想像するのが難しい。
この新鮮なレバーを、まるでステーキの用に大きく切り分けて、小麦粉をまぶしてフライパンで焼いて食べたが、すこぶる美味しい。新鮮だからなのか、野性だからなのか、ムースだからなのか、それともそれらすべてが満たされる必要があるのか、とにかくほぼレバーだけで腹を満たすほどに食べても、まったくいやにはならない。じつに驚いた。
村では、誰が鮭やムースを穫ってきたにせよ、皆で処理を手伝い、皆に分け与えられる。先祖代々そうしてきた。大地から分け与えられた物は、やはり皆に分け与えるのだろう。そして村人だけでなく、よその村からきた旅人にも。よその国からきた僕にも。私の土地で穫れた私の物を他人に譲ってあげる、のではないのだろう。
2016年9月8日
四輪バギー
グレイリング村から
村は外界と道路では繋がっていない。だから大型の荷物を運ぶ以外には、いわゆる車というものを必要としない。村人は村内の移動に、四輪バギーを使っている。ホンダ製をよく見かけるが、もちろん日本では見たことがない。子供からお年寄りまで皆使っている。セミオートマチックのギアがついていて、ぬかるみを走れる四輪駆動であり、運転を覚えるのは楽だ。たんなる移動だけではなく、リアカーほどに小さなトレーラーを引いたり、ボート用のトレーラーを引いたりもしている。
2016年9月10日
ブルーベリー摘み
グレイリング村から
ジャスティンの運転する四輪駆動バギーの後ろに座って、丘に刻まれた傾斜が30度もあるトレイルを登った。林道のようにブルドーザーで整地された道ではなく、ただ繰り返しバギーが走って出来ただけの、凹凸だらけの踏み跡なので、まるで暴れ馬に乗っているようにバギーが激しく揺れた。バーをしっかりと掴むだけでなく、揺れにあわせて上半身を巧みに動かさないと、振り落とされそうになる。もう一台のバギーの後ろにはエドナが乗っているのだが、ひ孫までいるエドナが悠々と乗っているのには驚いた。
標高五六百メートルほどまで登ったのだろうか。そんなに低い場所からもうすでにトウヒと白樺の森が途切れ、森林限界を越えた。まだ冬の寒さを体験してはいないのに、なるほど、ここは最北の地アラスカなのだと再認識する。あとわずかに北へ行けば、とうとう森林限界が海抜ゼロメートルにまで下がって、森のない世界が広がっているのだろう。
視界は開け、連なる丘が眼前に広がった。振り返ればユーコン川とグレイリング村が見下ろせる。ユーコン川を挟んだ向こう岸には、深い森に覆われた広大な平野が広がっていた。川からは見ることのなかったアラスカの眺めに、あらためて深く感動した。
地面に這う灌木と苔類だけが、なだらかな丘に広がっていた。ブルーベリーが濃い紫の実をつけ、クランベリーベリーが真っ赤な実をつけていた。レースを立体に編んだような、真っ白で堅い苔が珍しい。オレンジ色に紅葉した葉、緑の葉、紫や黒のブルーベリー、真っ赤なクランベリー、純白の苔。秋の丘は彩りにあふれていた。
空気が澄んでいた。トウヒの樹液に似た爽やかな香りが流れていた。こんなにも清涼な空気を吸ったのは、生まれて初めてのことだった。大気とはこんなにも美味しくなるものなのか。
ブルーベリーの実を片方の掌が一杯になるまで集め、細い軸を取り除き、口の中に放り込む。甘くて酸っぱい野生の味がした。移動しながら次から次へと集めては食べたが、いっこう食べることを止めることが出来ない。まるで俺は夢中になって食べている熊のようだなと思った。皆は小さなバケツにせっせと集めているようだが、僕はしばらくのあいだ収穫はそっちのけで、ひたすらうまいうまいと食べ続けていた。
2016年9月16日
無線機
グレイリング村から
エドナの家では、流し台の上に無線機が取り付けられている。彼女だけではない、他の家にも無線機がある。
村に唯一の雑貨屋が今日は何時から開くとの一斉通知。学校が今年度の説明会を開くから集まって欲しいとの一斉通知。郵便飛行機が離着陸時におこなう通信。狩りに出かけた村人が持つ携帯無線機との通常連絡や、スノーモービルが故障して帰れないから助けに来てくれなどの緊急連絡。ボートかスノーモービルだけでしか行き交うことのできない近隣の村から流れてくる通信。一斉放送ならぬ個人間の用事。その他もろもろ。
電話はあくまで個人対個人の繋がりだ。しかし無線機は複数の人間を同時に繋ぐ。村人全員が一つの長屋に暮らしているような、暖かくて柔らかいが強いない一体感を生み出しているのだろう。ことさらに、冬はときにマイナス40度にもなるこの村で、出歩くのが辛くなるお年寄りにとっては、安らぎを与えてくれるものとなろう。
携帯電話に取って代わられてしまった無線機だが、携帯電話にはないこのような作用があろうとは。
2016年9月17日
エドナの家
グレイリング村から
僕が泊めてもらっているエドナの家だ。ホウルケチャックトゥ村全体が現在グレイリングがある土地へ移住したのち、彼女の亡くなった夫が1960年後半に建てたログハウスである。
居間の真ん中に薪ストーブが据え付けられている。
2016年9月19日
燻製小屋
グレイリング村から
エドナの燻製小屋に吊されたサーモンのストリップ。
村人にとって欠かすことのできない伝統的な食料だ。キングサーモンやシルバーサーモンを、食塩と、各個人で異なる秘伝のレシピが追加された液に浸したのち、スモークされる。エドナは柳で燻製する。
僕は二日ほど干された半生の燻製が大好きだ。世の中でこれほどうまいものがあるのかと思うほどで、思い出しただけで唾が出てくる。
遡上中の鮭は餌を食べない。グレイリングは海からの距離が近すぎず遠すぎずもっとも理想的な場所らしく、美味しい脂がのった一番良い鮭が穫れる場所とのことだ。じっさい上流の村々で食べた鮭よりも美味しく感じる。
2016年9月20日
薪割り
グレイリング村から
温度はぐんぐんと下がっていて、昼夜問わず薪ストーブを焚いている。燃料が必要だ。斧で薪割りをした。
2016年9月21日
ムースの足が一本
グレイリング村から
暗い夜道を歩いて家に帰り、扉を引いて薄暗い玄関に入ったら、巨大な足が一本ぬっと目の前に突き出ていて、とてもビックリした。
ムースの足一本。
村人は捕った獲物を尊敬すべきお年寄りに分けているのだ。
2016年9月22日
グレイリングからアニアックへ飛ぶ
グレイリング村から
グレイリングからアニアックへ飛んでいる。踏み込めない湿地帯が広がっている。
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