2019/07/25

本質という名の栄養

年を重ねると、本質という名の栄養が、生きるために必要になる。坂井孝彦さんに言われた言葉を思い出す。

大人になると、徐々に野山へと心惹かれるようになる人が多いが、その理由は、たんに自然が安らぎを与えてくれるから、というだけなのだろうか。精神と体を維持するための栄養が、たっぷりのカロリーと溢れんばかりの情報から、余計なものを削ぎ落としたシンプルかつ美しい数式のような本質という何かへと徐々に変化しており、それを垣間見る手頃な場所が野山だから、という捉え方もまたあるのではなかろか。

アラスカの原野で今も暮らす、祖先の言葉を引き継いだお婆さんの姿が脳裏をよぎる。

元気を失い、栄養不足を感じたら、本質が不足しているのかもしれない。

本質は、探せば至る所にある。捉えるのが、理解するのが難しいだけだ。

多種多様な生命で混沌とした深い森に、それを垣間見るのかもしれない。星と空と砂しかない砂漠に、私が息をして水を飲む、そんな本質を見るのかもしれない。果てしなく広がる湿地に、時と空間を感じ取るかもしれない。または渋谷のネオンに新宿の大衆居酒屋に、その影を見るのかもしれない。


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