「何でしてるの?」とはよく聞かれること。答える理由はもちろん借り物ではない本人の言葉。しかし「脳は後付けで理由を考え、そして信じ込む」という知識があるからなのか、それともそういう知識がなくとも感じることなのか、さらに深いところに隠れた動機の気配を感じている。そしてそれは私だけではないかもしれない。
本当は子供の頃から何も変わってはいないのかもしれない。いや、そもそも本当は人間は子供の頃から(子供のころ形作られたクオリアから)変われないのか。結局のところ、小学生のころ考えていたクオリアの不思議、それを追い続けているだけなのだろうか。
何人か、同じようにそれを定義する言葉の存在を知らぬままに、子供のころ不思議に思っていた人に出会ったことがある。
佐多岬が手の届く範囲に入り、何か纏めでもするように頭に浮かんできた。
と、書いている側から思うのだが、追っているのは、意識しているのは間違いない。
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