2015/10/17

原野の暗闇で雄叫びを聞く










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 昨夜から、動物が枯れ枝をぱきぱきと踏みながら歩き回る音だけでなく、ぐわぉーという恐ろしげな叫び声が闇夜に響き始めた。いったいどんな動物の鳴き声なのだろうか。熊なのだろうか。
 ここはベアカントリーだから、熊は当然何処かにいる。だから熊の鳴き声であってもなんら不思議ではない。しかし恐ろしい鳴き声を聞いたからといって、それをもっとも自分にとって怖い相手へ、なんの根拠もなく結びつけるのは、落ち着いて考えてみればおかしな話だ。
 自分を原野のただ中に一人置いてみて、自分自身を観察してみると、じつに面白いことがわかる。人間は暗闇で聞こえる動物の鳴き声に、本能的に恐怖を感じるようだ。暗闇の捕食者に自動的に反応し、「これはどの動物の鳴き声だろう」と考えるより早く、鳴き声を聞いた瞬間にアドレナリンを体内に循環させて逃げ出す態勢をとるように、神経が配線されているようだ。動物の種類を考え込んでいては、捕食者に喰われてしまうのである。理性よりも情動を優先するのである。だからまた、一度熊のことが頭をよぎると、熊に関する思いが頭を占めるようになる。
 暗闇で聞く動物の鳴き声は、本能としてとにかく恐ろしいようだ。そんな遺伝子を受け継いできたから、太古の人間は生き延びてきたのである。だから空恐ろしい叫び声を聞いて熊に結びつけてしまうのも、本能だから仕方がない。
 それにそもそも、なぜ「ぐわぉー」という鳴き声が恐ろしいのか。なぜ「チュンチュン」ではないのか。ライオンが「チュンチュン」と鳴く動物であったならば、「チュンチュン」が万人に共通した、聞いただけで身の毛もよだつ恐ろしい鳴き声になるはずだ。面白いものである。
 さて、ではなんの動物の鳴き声か。よくよく聞いていると、自分が知っている熊の鳴き声よりも幾分甲高いような気がする。
 ここはとても静かである。さらに川が生み出した湿地帯で野営をしてるので、周囲は低い岡に囲まれており、音の反射も大変良さそうだ。試しに自分で遠吠えを上げてみた。すると辺り一面の森に木霊して、とても迫力のある、まるでゴジラの雄叫びのように聞こえるのである。僕程度の体重しかない動物の叫びが、ゴジラの叫びになるのである。
 ベカンベウシ川の下流部に熊が生息しているのは、自分で足跡を確認しているので間違いないが、上流部と中流部にある川岸の水飲み場では、今回を含めて四回の川下りで、一度も熊の足跡を発見したことがない。川をカヌーで下っているのだから、大きな水飲み場は全てチェックしていると考えてよいだろう。だから熊が生息している確率は低いと思われる。
 じゃあいったいどんな動物の鳴き声なのか。熊ではないと言い切ることはできないが、非常に興味がある。もしかして意外な動物かもしれない。実は鳥だったりするかも。

 さらに面白いのが、この暗闇で聞く動物の雄叫びという緊張感、もしかしたら体に良いかもしれない。なんとなく実感している。まあ色々な環境の総和であることは間違いないけれど、原野に入ってから、疲れが溜まってきているというよりは、体の調子がどことなく良くなってきている気がするので。
 都会のストレスで心身の調子を崩した人は、じゃあまったくストレスのない生活をすれば良いかというと、どうやらそうでもないらしい。人間はバランスのとれた適度な緊張も必要としているからだ。そこで、原野の暗闇で聞く動物の雄叫びという恐れの出番。もともと動物は一生涯捕食者のストレスにさらされながらも生きられるように進化してきたのだから、このような恐怖が実はバランスが取れているといっても、あながち非論理的な話でもないだろう。どうでしょう、都会の生活で心と体のバランスを崩してしまった人は、原野で動物の恐ろしい雄叫びを聞いてみては。

 夜は氷点下になっている。テントの外へ出しっぱなしにしている食器洗い用のメラニンスポンジが、朝にはがちがちに凍っているのだ。
 天気予報の気温は百葉箱で観測した結果だから、たしか地上1.5メートルでの気温だったか。テント生活は地上0メートルで寝るし、外に出しっぱなしにしたスポンジもやはり地上0メートル。天気予報での最低気温が今どうなっているかは知らないが、晴れた日の放射冷却というのは、まさに地面が放射冷却されるのであるから、天気予報の数値と大きく食い違うのは物理的に正しい話である。したがってキャンプをする時は、そこまで考慮に入れて準備をしましょう。

 また昼間は、陽光を浴びていると体感温度が二十五度ほどである。なので一日の気温差が二十五度だ。

 丹頂鶴の幼鳥がいた。頭と首がまだ茶色で、体と羽だけが白黒だ。川からの低い視線だと首から上だけしか見えなかったので、まるでダチョウがいるように見えた。ダチョウがいるわけがないので、始めてみる鳥を驚きながら見つめていたら、羽を広げて飛び立って初めて丹頂鶴だと判明した。

 テントを張っている時に、雪虫が一匹舞っているのを見つけた。雪の到来を知らせる北海道の妖精。ここもあと半月ほどで初雪が降るのだろうか。

 明日の朝で秋田小町の玄米を2.5キログラム消費する。一日の食料は、玄米二合とロールパン三個、そして肉か魚。
 宮沢賢治の「雨にも負けず」では、一日に玄米を四合食べる。さあ、どうでしょう。もう少しカロリーが必要かもしれないと感じてもいるが、荷物の量とのバランスもあるしね。

 北海道で買った水産加工用のグローブが、ベカンベウシ川でのカヌーに丁度良い。倒木越えの時に、荒々しく倒木を掴んで押したり引いたり折ったりするので、お洒落なアウトドア用グローブではすぐに破れてしまうだろう。またこのグローブであれば、凍るように冷たい川の水でも、洗い物が苦痛なく出来るのだ。


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