大地を温め、雨を降らし、生命を育む。地球が活動するエネルギーは、親子161代にわたり歩み続けなければ辿り着けない、遙か遠く離れた太陽からの強烈な光がもたらしている。太陽が忽然と姿を消したなら、地球は冷え切り、静寂だけが支配する世界に一変する。
太陽光線のエネルギーは大地を温めるが、その熱はやがて宇宙空間に放射され逃げていく。陽だまりの中で温められた体も、太陽が雲に隠れれば急速に冷えていく。熱エネルギーは常に温かい場所から冷たい場所へと流れていくので、太陽光線のエネルギーが熱エネルギーに変化しても、それを貯蓄することはできないのである。
ところが植物という奇跡の生命体は、太陽光線のエネルギーを、貯蓄と移動が可能な炭水化物という別の形のエネルギーに変換することができる。植物はその体内に炭水化物を蓄え自身の活動エネルギーとし、餌となることで動物に活動エネルギーを提供し、地中に埋まり石油となることで人類に活動エネルギーを提供する。現代まで人類は、膨大に消費するエネルギーのほぼ全てをこの植物が過去に蓄えたエネルギーに頼り切っていた。20世紀に入りとうとう人類は、太陽光線のエネルギーを植物に頼らず直接に電気エネルギーへと変換する技術を発明した。半導体で出来た太陽電池である。
太陽電池が発明されたのはかなり古く、基本原理は1839年に、日本での量産は1960年代に始まっている。自然を壊し続け何か良くないことをしていると感じ始めても、しっぺ返しを食らって痛い目に合わないとなかなか重い腰が上がらないもので、ここ数年でようやく太陽電池の本格的な量産を狙った開発が急ピッチに進んだ。増えすぎた人口を間引くことができない以上、テクノロジーが破壊してきた自然は、さらに進んだテクノロジーで救うことしか出来ない。そんな地球を救うテクノロジーの1つが、太陽電池パネルである。
15グラムの太陽電池パネルで炊けるご飯の量を計算してみよう。太陽電池パネルとしては、アウトドア用の折りたたみ可能で軽量なシート状のものと、一戸建てやビルの屋根に取り付ける長期耐久性を考慮した頑丈で重いものがあるが、ここでは石油に変わるエネルギー源として期待される後者で計算してみようと思う。少し脱線するが、一戸建てやビル用の太陽電池パネルには長期耐久性があるとは言いつつも、高価な太陽電池パネルを買ってたしか10年ほど使えば電気を売ることで元が取れるとのことだが、まだ10年以内の不良発生率が10%程度はあるということらしく、まだまだ20年30年使い続けるには課題が多く残っているようだ。
さて、少々乱暴な展開とはなるが、その家庭用太陽電池パネルを15グラムとなる大きさまでぶった切り、ご飯を炊いてみるとしよう。
国産のあるメジャーな太陽電池パネルは、公称最大出力が215ワットで重さは15キログラムとなっている。したがって15グラムになるよう単純に1000分割すれば、受光面積も1/1000になるので0.215ワットの発電能力となる。その大きさは3.6センチメートル×3.6センチメートルと、手のひらにすっぽり入るサイズ。携帯電話に付いている太陽電池パネルほどか。ご飯を1合を炊くために必要な加熱時間は、おおよそ16分。鍋の水が沸騰するまでに8分かかり、ご飯が炊き上がるまでさらに8分。この16分間に15グラムの太陽電池パネルが発電できる電力を熱エネルギーに変換すると、0.049キロカロリー。ご飯を1合炊くのに必要なエネルギーは160キロカロリー。したがって0.046グラムのお米を炊ける計算となる。お米1粒が0.022グラムなので、お米2粒である。
米2粒しか炊けないなんて、なにやら計算間違いをしているような気にもなってくるが、実際に太陽光線のエネルギー密度はそれほど高くない。15グラムの太陽電池パネルの大きさは3.6センチメートル×3.6センチメートルだから、もしそんな小さな面積に日光が当たるだけで1合ものご飯が炊けるほど太陽光線が強力だとしたら、日光浴などしようものなら大火傷を負うこと間違いないだろう。すなわち、どんなに太陽電池パネルが高性能化しても、車の屋根に取り付けただけでは、面積が足りなくて車は走らないということだ。また、携帯電話はお米を小さじ一杯分だけ炊けるエネルギーを持つ15グラムの電池で動いているが、電池の代わりに米2粒だけ炊ける15グラムの太陽電池を携帯電話に貼りつけても、通話は無理である。さらに、都市への電力供給を賄えるほどの太陽光発電には、広大な面積の土地が必要だということだ。しかしながら、日本にいてはなかなか気がつかない発想だが、砂漠は広大であり、雨も降らずにギラギラと太陽が照りつけ、生物の影も薄いので、太陽電池パネルの設置に使わない手はない。世界中の電力をまかなうには、サハラ砂漠の45/1の面積に太陽電池パネルを取り付ければよい計算になる。
将来世界が全面的に石油エネルギーから脱却して石油が売れなくなっても、中近東の石油産出国は広大な砂漠をも抱えているから、砂漠で発電した電力を売れば引き続き安泰であると思われる。砂漠が金の卵になるとは、今まで予想だにしなかったことであろう。今はまだ太陽電池は熱に弱く灼熱の砂漠での耐久性が足りないという問題があるが、そこはいずれ技術でカバーされるはずだ。ところで、砂漠一面を太陽電池で覆ってしまうというのは、本当に気象や何がしかの生態系に影響を及ぼさないのであろうか?おそらく、森林に覆われた自然を破壊するよりは、不毛と一言で片付けられている砂漠を覆ってしまったほうが、総合的には良い結果になるということになるのだろう。
さて日本はというと、森を太陽電池で覆ってしまうと森は死んでしまうわけで、エネルギーを輸入に頼らず自国で確保するとなると、太陽電池以外の技術を生み出さなければならない。アメリカは太陽電池パネルを敷き詰められる広大な砂漠を抱えているし、ヨーロッパは電力網をアフリカと接続して、サハラ砂漠から電力を供給するという計画がある。さて日本の計画はというと、いつものごとく政府の戦略は聞こえてこない。頑張れ、日本……。豊富な海に囲まれているから海流で発電するという研究もなされているけど、海水の中で機械を動かすわけだから、構造が単純な太陽電池に比べるとかなり難易度が高い。
太陽電池の主要成分であるケイ素は、地球の15%を占めると言われている。もちろん土の中からケイ素を含む岩石を掘り出して太陽電池にするまでには大量のエネルギーを消費するけれど、太陽電池で作り出した電力で太陽電池を作るということを繰り返せば、単純に考えると環境への負荷は少ないまま無尽蔵の材料からいくらでも太陽電池が作り出せるはず。たった100年の技術進歩で人類はほとんどの自然を破壊してしまったが、次の100年の技術進歩できっと修復できると信じたい。
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