時は幕末。鎖国真っ只中の日本に、24歳の冒険心に満ち溢れた一人のアメリカ人が、処刑の恐れも覚悟のうえで密かな入国を試みた。彼の名はRanald MacDonald 1824 – 1894。捕鯨船から小さなボートに乗り換え北海道の焼尻島に単身上陸し、アイヌに保護されたのち幕府による囚われの身となる。
彼は初の英語母語話者による英語教師となり、ペリー来航の際に通訳を務めた森山栄之助らに、オランダ語を介すことのない英語教育を行うこととなる。またアメリカに帰国後は、日本は優れた文化を持つ国だと政府に伝え、対日政策に影響を与えたという。
僕はいま彼の墓標にいる。ここは彼の為だけに作られたワシントン州立公園だ。友人のMatt Watkinsは、日本とアメリカの橋渡し役となった勇敢なRanaldに深く感銘を受け、かねてから僕をここへ連れて行きたいと思っていた。
人は歴史となり繋がる。石に刻まれた記憶となった今も。Ranaldがいなければ、いまここに僕らは立っていないかもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿