これまでに、景観と気候が全く異なる三つの領域を漕ぎ進んできた。ワシントン州内陸部の、まるで火星のような渓谷。カスケード山脈を切り分ける、豊かな緑に覆われたコロンビア渓谷。そしていま、雨に恵まれた、太平洋に面した広大な平野の中を漕いでいる。
もう岩壁も山もなく、澄んだ青空が平らな大地の上に広がっていた。
右岸にはワシントン州のバンクーバーが広がり、芝生が覆う広大な敷地に建つ二階建ての豪邸が、川に沿って無数に立ち並んでいる。ワシントン州では海岸や川岸を個人が所有できるので、コロンビア川に面した庭から突き出た桟橋に、豪華なクルーザーが係留されていた。「ああ、アメリカだ。世界の富が集まっているのだな……」と、少し複雑な気持ちで眺める。
川面一杯に数限りないレジャーボートが浮かんでいて、コロンビア川は至る所がとても賑やかだった。今日は日曜日だから尚更なのであろう。
僕のカヤックはあまりにもちっぽけなので、クルーザーから視認するのは難しく、さらにレーダーにも反応しない。それなのに向風が吹いていたので、クルーザーを避け川岸に沿っておとなしく漕ぐことは許されずに、大胆にも川の中央をジグザグと帆走しなければならなかった。モータークルーザーは猛スピードで前から後ろから接近してくる。ヨットクルーザーは川幅一杯を使ってジグザグと斜めに航行するので、右前方、左前方、右後方、左後方から接近してくる。すなわち、ありとあらゆる方向からクルーザーが突進してくるのだ。無数のクルーザーがそれぞれ縦横無尽に走り回っている合間を、縫うように動いて逃げ回るしか術がなかった。ぼやぼやしていると引かれてしまうので、四六時中、キョロキョロと三百六十度を見廻しては、クルーザーを避けて右に左に舵を切り、まるでスクランブル交差点の中央で、行き交う人間の足から逃げ惑う蟻のようだった。
ワシュガルを午前八時五十分に出発してから、十一時間と二十分のあいだカヤックの狭いコクピットに座り続けて、四十七キロメートルを漕ぎ、午後八時十分にケリーポイント公園に上陸した。そこはキャンプ禁止だったが、もう日は沈みかけており他に選択肢はなく、テントを張り眠りについた。