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accum. distance [Km]: 136.2
徒歩による旅とは、「楽をする」こととは正反対の行為である。
直射日光にさらされて、暑くてシャツ一枚になる。しばらく歩くと、太陽が雲に隠れ
て、ジャケットを羽織る。またしばらく歩くと、地形が変わり寒風が吹きはじめて、
リュックの奥からダウンのジャケットを取り出して着込む。またしばらく歩くと、今
度は雨が降り始めて、水は蒸発しながら体温を奪い、袖口やら足元からはじわじわ水
が染み入り、体が芯から冷え出す。
歩けども歩けども、景色は動かない。足は筋肉痛になり、なにやら横腹は痛み、暖か
くて美味しい食べ物を空想しながら、重い体を引きずって二日ほど歩き続けなけれ
ば、次の町に辿り着かない。
歩きでは、地図に書いてある宿など、そこまで辿り着くことができないので、無意味
である。歩くことが前提で作られた昔の宿場町など、今はない。日が傾き始めれば、
今夜はいったいどこにテントを張れるのだろうかと、辺りを見回しながら歩く。今
日、明日、未来の、予測できる安心感など、何処まで歩いても、何処にもない。
だが、徒歩による旅とは、「楽しい」旅である。
車や列車やバスではまったく気付くことのできない、多くの喜びを発見できる。
一つ丘を越えるだけで移り変わる自然の表情が、読み取れる。気温が上がり、下が
る。風が強くなり、弱くなり、温度が変わり、向きが変わる。匂いが、海となり、森
となり、牧場となり、町となる。
山の形が、歩むごとにゆっくりと変わり、無数の表情を見せる。
道脇の沢に目を落とせば、マスが群れて遡上している。シカが森の中で鳴いている。
蝦夷リスが走り抜ける。牧場の牛たちが一斉に私を見詰める。足元の草むらからバッ
タが次々と飛び出す。
その土地で暮らす人々との触れ合いがある。その土地で獲れる魚、野菜、山菜、調理
方法で作った、その土地の味を、旅人にもてなしてくれる。その土地の歴史や、その
土地に対する思いを聞かせてくれる。旅人の体をいたわる優しさ、心のぬくもりをい
ただける。
歩くことで、地球の大きさを、自分の足を通して感じとり、生命としての喜びを本能
的に知る。
日本語の「楽」という漢字を、分けたほうがよいだろう。「体が楽であることが、心
が楽しいことである」、とは、必ずしも一致しないのだから。人生に楽を求めて、便
利な道具や安易に刺激を得られる娯楽を追い続け、気がついてみれば、人生が楽しく
ない、とはならないように。
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