2010/11/21

ご飯を炊くエネルギー その9 アルカリ乾電池

単3アルカリ乾電池8本が、百円ショップでたったの100円で売ってた。あまりの安さに驚く。しかもである、安いが電池の持ちも半分、というような「安かろう悪かろう」という品物ではどうやらないらしく、電池寿命はメーカー品と遜色ないようだ。多くの個人的な実験結果がウェッブ上に転がっている。百円ショップがもたらした革命は凄い。

普段の生活でも単3アルカリ乾電池は色々と利用されているが、特にアウトドアシーンでは大活躍する。ありとあらゆる便利な道具達が単3乾電池で駆動されるのであり、それらを列挙すると、
  • 時空間の革命児、ハンディ型GPS
  • 夜間の行動に欠かせない、LEDヘッドライト
  • みんなで楽しく食事をするときの、ランタン
  • 個人的にはあまり持ちたくない携帯電話の、充電器
  • 芸術や記録に、電池で動くデジタルカメラ
  • 夏には欠かせない、携帯型電動蚊取り線香
  • 気象情報や熊避けなどに、ラジオ
  • 仲間と行動するとき役立つ、無線機
  • 海外行くなら、電子辞書
  • 海に持って行くと海図まで見れちゃう、iPhoneの充電器
  • なんと人工衛星と直接通信し居場所を知らせる、ワールドワイド・ビーコン
などなど。こうして書き出してみると、もう普段から電気製品が生命維持装置となっている現代人は、まるで電池なしでは外で生きていけないようだね。

キャンプをすると大概の日本人はご飯を炊くのであるが、このように沢山の単3乾電池を持って行くので、おのずと浮かんでくるアイデアがある。前章でも触れたが、単3乾電池でご飯が炊けないのかと友達に質問された。皆さんも思ったことはないだろうか。通常は小型のガスコンロにカセットガスや専用のガス缶をセットして、鍋でご飯を炊くのであるが、これがまた結構難しく、熟練しないうちはご飯に芯が残ったり、べちゃべちゃになったり、炭のように焦げ付いてしまったりするのである。それに嵩張り重い。ならばどうせ乾電池を沢山持っていくのであるから、他の機器と共通の乾電池で、炊飯器と同じようにスイッチひとつで美味しいご飯が間違いなく確実に炊けるのであれば、そりゃもう大変便利であろうと。

ちょっと脇道にそれるが、「大変便利だ」と書いておきながら、じつは僕はご飯を炊くという行為自体が好きであり、わざわざ灯油より更に難易度の高い焚き火で美味しいご飯を炊く、というようなことにエネルキーを費やし一人ほくそ笑むタイプの人間だったりする。

さて、単3アルカリ乾電池に詰まっているエネルギーは、だいたい2キロカロリーである。重さを測ってみると22グラムであった。15グラムに減量するために単3乾電池を削って70パーセントの大きさにした場合、ご飯は何合炊けるであろうか?ここでは、「アルカリ乾電池は内部抵抗が高いからそんなに大電流は流せないぞ」という類のより専門的な考察は、あえて切り捨てることにする。知りたいのは、様々なモノに蓄積されたエネルギーの大局観であるからして。さて、計算結果はというと、0.009合である。小さじ半分のご飯である!

 

友人への答えは、「どんなに大量に乾電池を使っても、残念ながらお腹いっぱいになるご飯は炊けないよ」、となる。煮炊きをしたり暖を取ったりする用途には、まったくもって乾電池は、カセットガスやホワイトガソリンや灯油には太刀打ち出来ないということである。15グラムの灯油で1合のご飯が炊けるのに対して、かたや15グラムのアルカリ乾電池ではたったの小さじ半分のご飯しか炊けないのだ。

さらにこんな話も見えてくるのだが、上の比較図を見てみると、携帯電話に使われているリチウムイオン充電池は、アルカリ乾電池の2倍のご飯が炊ける。「携帯電話ってコンセントがないと充電できなくて困るし、もし乾電池で動く携帯電話があれば超便利なのになぁ」なんて思ったことがある人もいると思うが、ご飯が半分しか炊けないから、いや……通話が半分しか出来ないから製造されなということだよね。

2010/11/15

ご飯を炊くエネルギー その8 太陽電池

大地を温め、雨を降らし、生命を育む。地球が活動するエネルギーは、親子161代にわたり歩み続けなければ辿り着けない、遙か遠く離れた太陽からの強烈な光がもたらしている。太陽が忽然と姿を消したなら、地球は冷え切り、静寂だけが支配する世界に一変する。

太陽光線のエネルギーは大地を温めるが、その熱はやがて宇宙空間に放射され逃げていく。陽だまりの中で温められた体も、太陽が雲に隠れれば急速に冷えていく。熱エネルギーは常に温かい場所から冷たい場所へと流れていくので、太陽光線のエネルギーが熱エネルギーに変化しても、それを貯蓄することはできないのである。

ところが植物という奇跡の生命体は、太陽光線のエネルギーを、貯蓄と移動が可能な炭水化物という別の形のエネルギーに変換することができる。植物はその体内に炭水化物を蓄え自身の活動エネルギーとし、餌となることで動物に活動エネルギーを提供し、地中に埋まり石油となることで人類に活動エネルギーを提供する。現代まで人類は、膨大に消費するエネルギーのほぼ全てをこの植物が過去に蓄えたエネルギーに頼り切っていた。20世紀に入りとうとう人類は、太陽光線のエネルギーを植物に頼らず直接に電気エネルギーへと変換する技術を発明した。半導体で出来た太陽電池である。

太陽電池が発明されたのはかなり古く、基本原理は1839年に、日本での量産は1960年代に始まっている。自然を壊し続け何か良くないことをしていると感じ始めても、しっぺ返しを食らって痛い目に合わないとなかなか重い腰が上がらないもので、ここ数年でようやく太陽電池の本格的な量産を狙った開発が急ピッチに進んだ。増えすぎた人口を間引くことができない以上、テクノロジーが破壊してきた自然は、さらに進んだテクノロジーで救うことしか出来ない。そんな地球を救うテクノロジーの1つが、太陽電池パネルである。

15グラムの太陽電池パネルで炊けるご飯の量を計算してみよう。太陽電池パネルとしては、アウトドア用の折りたたみ可能で軽量なシート状のものと、一戸建てやビルの屋根に取り付ける長期耐久性を考慮した頑丈で重いものがあるが、ここでは石油に変わるエネルギー源として期待される後者で計算してみようと思う。少し脱線するが、一戸建てやビル用の太陽電池パネルには長期耐久性があるとは言いつつも、高価な太陽電池パネルを買ってたしか10年ほど使えば電気を売ることで元が取れるとのことだが、まだ10年以内の不良発生率が10%程度はあるということらしく、まだまだ20年30年使い続けるには課題が多く残っているようだ。

さて、少々乱暴な展開とはなるが、その家庭用太陽電池パネルを15グラムとなる大きさまでぶった切り、ご飯を炊いてみるとしよう。

国産のあるメジャーな太陽電池パネルは、公称最大出力が215ワットで重さは15キログラムとなっている。したがって15グラムになるよう単純に1000分割すれば、受光面積も1/1000になるので0.215ワットの発電能力となる。その大きさは3.6センチメートル×3.6センチメートルと、手のひらにすっぽり入るサイズ。携帯電話に付いている太陽電池パネルほどか。ご飯を1合を炊くために必要な加熱時間は、おおよそ16分。鍋の水が沸騰するまでに8分かかり、ご飯が炊き上がるまでさらに8分。この16分間に15グラムの太陽電池パネルが発電できる電力を熱エネルギーに変換すると、0.049キロカロリー。ご飯を1合炊くのに必要なエネルギーは160キロカロリー。したがって0.046グラムのお米を炊ける計算となる。お米1粒が0.022グラムなので、お米2粒である。

 

米2粒しか炊けないなんて、なにやら計算間違いをしているような気にもなってくるが、実際に太陽光線のエネルギー密度はそれほど高くない。15グラムの太陽電池パネルの大きさは3.6センチメートル×3.6センチメートルだから、もしそんな小さな面積に日光が当たるだけで1合ものご飯が炊けるほど太陽光線が強力だとしたら、日光浴などしようものなら大火傷を負うこと間違いないだろう。すなわち、どんなに太陽電池パネルが高性能化しても、車の屋根に取り付けただけでは、面積が足りなくて車は走らないということだ。また、携帯電話はお米を小さじ一杯分だけ炊けるエネルギーを持つ15グラムの電池で動いているが、電池の代わりに米2粒だけ炊ける15グラムの太陽電池を携帯電話に貼りつけても、通話は無理である。さらに、都市への電力供給を賄えるほどの太陽光発電には、広大な面積の土地が必要だということだ。しかしながら、日本にいてはなかなか気がつかない発想だが、砂漠は広大であり、雨も降らずにギラギラと太陽が照りつけ、生物の影も薄いので、太陽電池パネルの設置に使わない手はない。世界中の電力をまかなうには、サハラ砂漠の45/1の面積に太陽電池パネルを取り付ければよい計算になる。

将来世界が全面的に石油エネルギーから脱却して石油が売れなくなっても、中近東の石油産出国は広大な砂漠をも抱えているから、砂漠で発電した電力を売れば引き続き安泰であると思われる。砂漠が金の卵になるとは、今まで予想だにしなかったことであろう。今はまだ太陽電池は熱に弱く灼熱の砂漠での耐久性が足りないという問題があるが、そこはいずれ技術でカバーされるはずだ。ところで、砂漠一面を太陽電池で覆ってしまうというのは、本当に気象や何がしかの生態系に影響を及ぼさないのであろうか?おそらく、森林に覆われた自然を破壊するよりは、不毛と一言で片付けられている砂漠を覆ってしまったほうが、総合的には良い結果になるということになるのだろう。

さて日本はというと、森を太陽電池で覆ってしまうと森は死んでしまうわけで、エネルギーを輸入に頼らず自国で確保するとなると、太陽電池以外の技術を生み出さなければならない。アメリカは太陽電池パネルを敷き詰められる広大な砂漠を抱えているし、ヨーロッパは電力網をアフリカと接続して、サハラ砂漠から電力を供給するという計画がある。さて日本の計画はというと、いつものごとく政府の戦略は聞こえてこない。頑張れ、日本……。豊富な海に囲まれているから海流で発電するという研究もなされているけど、海水の中で機械を動かすわけだから、構造が単純な太陽電池に比べるとかなり難易度が高い。

太陽電池の主要成分であるケイ素は、地球の15%を占めると言われている。もちろん土の中からケイ素を含む岩石を掘り出して太陽電池にするまでには大量のエネルギーを消費するけれど、太陽電池で作り出した電力で太陽電池を作るということを繰り返せば、単純に考えると環境への負荷は少ないまま無尽蔵の材料からいくらでも太陽電池が作り出せるはず。たった100年の技術進歩で人類はほとんどの自然を破壊してしまったが、次の100年の技術進歩できっと修復できると信じたい。

2010/11/07

ご飯を炊くエネルギー その7 水素

スペースシャトルの歴史がそろそろ閉じようとしている。まだ最後のフライトとなる日は確定していないようだが、来年には引退となるようだ。一度でいいからケネディ宇宙センターで打ち上げの瞬間を見てみたかったのだが、どうやら叶いそうにない。全部で3機残っているスペースシャトルのうちの1機であるディスカバリーは、いま水素燃料漏れと外部燃料タンクの断熱材に亀裂が見つかったため打ち上げ延期となっており、予定通りに行けば今月末でラストフライトとなるようだ。

そう、「水素燃料漏れ」と書いたように、スペースシャトルで使われている燃料は水素である。ちなみに日本のH2-Aロケットに使われている燃料も水素。ではなぜ水素が使われているのか?ロケット工学は複雑であり、専門家でもない僕が理由を簡潔に説明するのはかなり無理があると思うが、あえて説明してしまおう。なぜ水素が使われているのかというと、様々な種類の燃料の中で、同じ重量を燃やした時の発熱量がもっとも大きいからである。言い換えれば、同じ力を出せるのであれば、より軽い燃料を積んだほうが良いということ。人間に例えれば、マラソンをするのに1,000キロカロリーが必要だとして、そのエネルギー源として950gのうどんを食べてから走るより、180gの高カロリーなチョコレートを食べてから走るほうが、体が軽くて楽だということだ。そしてロケット全般に言えることだが、スペースシャトルの重量はそのほとんどが燃料なのである。あのスペースシャトルが腹に抱えてる円筒形の巨大な物体は、ロケットではなくて単なる燃料タンク。燃料を打ち上げるために、その燃料を燃やしてロケットエンジンを噴射させているようなもの。だからそのぶん燃料は軽いほうがいい。

ではなぜ、様々な燃料の中でも、同じ重量を燃やした時に水素がもっとも発熱量が大きいのか。それは水素を構成する基本粒子である水素原子が、宇宙一軽い原子だからである。空気よりも軽く風船に詰めると空中に舞い上がるので、1937年にアメリカで爆発炎上したヒンデンブルク号というドイツの飛行船には、水素がぎっしり詰まっていた。水素が燃えるというのは、水素原子と酸素原子が結合して水になり、その時に熱を発生するという反応である。同じように、冬に大変便利なホッカイロは鉄が燃えることで熱を出しているが、鉄原子と酸素原子が結合して酸化鉄になり、その時に熱を発生するという反応である。水素も鉄も同じように酸素と結合して熱を出すという仕組みであるにもかかわらず、水素原子は鉄原子と比べて遥かに軽く1/56の重量なので、同じ重量であれば水素原子の数の方が鉄原子よりも56倍も多いことになり、同じ重量を燃やせば水素のほうが鉄よりも多く熱を出すということになる。

では、その水素15グラムでご飯が何合炊けるのか?水素の単位重量あたりの発熱量は灯油の約2.7倍であり、灯油15グラムで1合のご飯が炊けるので、水素15グラムでは2.7合のご飯が炊けることになる。


このようにガソリンやガスなどの石油系の燃料とくらべて重量あたりの発熱量が多いことや、燃えても二酸化炭素や有害物質を一切排出せずに水しか出さないことや、最近のエコブームで水素自動車などが話題に挙がっているのを聞くと、とても環境に優しい完璧な夢の燃料に聞こえてくるが、実際はそうそう簡単にはいかないものである。

石油は大地から掘り出し精製するだけだが、水素は掘れば出てくるようなものではないので、大量のエネルギーを使ってまず作り出さなければならない。その水素を作るエネルギーが問題で、石油を燃料とした火力発電所の電気エネルギーを使って水素を作り、その水素で車を走らしたのでは、結局のところガソリンを使って車を走らすのと環境負荷的には大して変わらないということになる。したがって、二酸化炭素を排出しない太陽電池発電所や水力発電所の電気エネルギーで水素を作るとか、または太陽の光で育てた植物からアルコールを作り、そのアルコールを分解して水素を作るなどしないと環境負荷が軽減されないことになる。分かりやすく例えるならば、石炭をいい加減に燃やして二酸化炭素や有害物質をガンガン排出しながら発電した電気エネルギーで水素を作っていては、いくらその水素で自動車を走らして水しか出ませんと言ってみたところで、まったくエコではないということ。水素は結局のところ、高圧送電線で送られる電気エネルギーのように、ある場所から違う場所へとエネルギーを運ぶ媒体でしかないということだ。上手に自然エネルギーを使って水素を作り出さなければならないし、作り出した水素は電気と違って自動車などで運ばなければならないので運搬するエネルギーも勘定に入れなければならず、さらに液体水素は室温でどんどん蒸発してしまうので早く使いきらないと無くなってしまう。

また、水素は室温だと気体なので、そのまま容器に入れて運んでみたところで、ほんの僅かな重量しか運べない。紙袋に空気をいれて運ぶのとなんら変わらないどころか、空気より水素は軽いので空気以下の重量しか運べないのである。それではまったく使いものにならないが、水素は-253度まで冷やせば液体になり体積が1/800に減るので運びやすくなる。だからスペースシャトルは燃料タンクに液体水素を入れている。だけど液体水素は-253度以上で沸騰して気体になってしまので、魔法瓶にでも入れて断熱しておかないと、あっという間に蒸発して無くなってしまう。魔法瓶じゃあまりに重いので、スペースシャトルは発泡断熱材でお腹に抱えた外部燃料タンクを覆っている。まあ発泡スチロールで冷やしたペットボトルを囲んで保冷しているみたいなものである。だけれどこの発泡断熱材が脆く、振動でボロボロ剥がれるものだから、剥がれた破片がスペースシャトルの翼に当たって破損させ、コロンビア号の空中分解という大惨事になってしまった。冒頭に書いた、「外部燃料タンクの断熱材の亀裂が原因で打ち上げ延期」というのは、このような訳でNASAにとってはとても頭が痛い問題なのである。まあどのような方法をしても、-253度の液体水素は、石油に比べて持ち運びや保存が非常に厄介だということだ。

ちなみに、1969年に人類を初めて月に送ったNASAのサターン5型ロケットは、燃料が灯油である。ちょっと驚きませんか?

2010/11/04

ご飯を炊くエネルギー その6 太陽

太陽のエネルギーを計算してみよう。

あまりにも身近な存在である太陽。薄暗い冬空の下で寒風に吹かれ凍えていても、突然雲を割り顔をのぞかせた太陽の光を体に浴びるだけで、たとえそれが衣服を通した間接的な接触であっても、瞬く間に冷えた体に熱が伝わり生き返る。こんなにも強い熱を感じることが出来るのだし、太陽はあまり遠い存在ではないような気がするが、いったいこの地球からいったいどのぐらい離れているのだろうか?

地球から太陽までの距離は、約1億5千万キロメートルだという。これだとピンと来ない。

地球から太陽までの距離は、地球の直径の約1万2千倍だという。地球をグルっと一周歩いたことはないから、これもいまいちピンと来ない。

では太陽まで歩いたら何日かかるだろう?計算してみると、人生80年として、161回分の人生を毎日8時間歩けば辿りつくようだ。なるほど、少し分かったような気にはなってくる。いずれにせよ、天竺より遠い遥か彼方の遠方である。こんなに遠く離れた場所で燃えていても、体が瞬時に暖まるほどの熱線を感じることが出来るのだから、太陽はどんなに激しい燃え方をしているのであろうか。

太陽は、木や石油が燃える現象とはまったく異なる仕組みで燃えている。太陽は核融合反応で燃えているのである。核融合反応というのは、原子力発電所や原子爆弾で利用されているウランやプルトニウムの核分裂反応と似てはいるが異なる反応である。

似ている部分とは、木や石油の燃焼のように一般的に物が燃えるといわれる現象が物質の基本構成要素である原子の組み合わせが変化するだけであるのに対して、両者共に原子自体が違う原子に変化する核反応であるというところだ。木や石油が燃焼する時に原子の組み合わせが変化するというのは、例えば、酸素原子・炭素原子・水素原子が組み合わさった木が燃焼すると、水素原子・酸素原子が組み合わさった水と、酸素原子・炭素原子が組み合わさった二酸化炭素に分解するということである。一方で原子自体が違う原子に変化するというのは、例えば、温度計に使われている水銀の原子が原子核崩壊して金の原子に変わることであり、金を人工的に作りだす錬金術と同じで日常生活ではあまりお目にかかることがない。

異なる部分とは、文字通りに分裂と融合である。核分裂反応は、ブヨブヨと振動している柔らかめのおにぎりがウランの原子だとすると、勢い良く飛んできた米粒が衝突しておにぎりが二つに分裂し、クリプトンやバリウムなどの全く異なる原子に変化すると共にエネルギーを放出する、というようなイメージである。まあかなり比喩的な表現ではあるけれど。それに対して核融合反応は、米粒1つで出来ている水素原子に別の米粒が勢い良く衝突してくっ付き、ヘリウムという名の別の原子に変化すると共にエネルギーを放出する、というようなイメージ。

核分裂反応は核融合反応に比べれば簡単に起こせるので、すでに原子力発電や原子爆弾に利用されている。何故かと言うと、ブヨブヨと振動してる柔らかいおにぎりだからとても壊れやすくて、ある分量以上のおにぎりを一箇所に集めておけば、勝手に核分裂反応を起こし始める。あるおにぎりが分裂して複数の米粒が弾け飛ぶと、弾け飛んだ米粒が衝突した近隣の複数のおにぎりがまた分裂して、そのとき弾け飛んだ米粒がまた別のおにぎりに衝突して……というように連鎖反応でねずみ算的に分裂するおにぎりが増加して、瞬く間に全てのおにぎりが分裂して一気にエネルギーを放出してしまう。このある一定量以上を集めるだけで自然に核分裂反応が始まるという単純なメカニズムが、いわゆるならずもの国家にウランが流出すると、技術力がなくとも核兵器の製造が可能であるという懸念に繋がるのである。

ところが核融合反応はとても難しい。多少無理が出てくるが引き続きおにぎりに比喩を求めると、米粒同士はお互いに反発しあう強い力を持っていて、米粒同士をくっつけるにはその反発力に打ち勝つだけの莫大な力と熱で圧縮しなければならない。原子爆弾の核分裂反応が作り出す瞬間的な力と熱で、僅かな時間だけ爆発的に核融合反応を起こすことには、水爆として成功している。しかしながら平和利用の発電用として永続的にゆっくり燃え続けるミニ太陽を地上で再現することには、何十年も研究を続けているが今だに実現していない。太陽の中心は1千500万度、2千500億気圧という想像を絶する環境なので、この核融合反応が起きているのである。

少し話が脱線するが、ここに僕は「太陽の中では核融合反応が起きていて……」と、まるで実験室で観測した結果判明した明確な事実のように書いているが、いまだかつて誰も太陽まで行って調べてきたことはない。それでも人類は、相対性理論や量子力学を生み出すことにより、遥か彼方の太陽中心で起きている現象を解明してしまうのだから、「考える」という能力は奇跡であるとしか言いようがない。

太陽の核融合反応は主に陽子-陽子連鎖反応であり、水素からヘリウムへと変化する際に、質量の0.7パーセントが失われてエネルギーに変換される。したがって15グラムの太陽を持ってきてご飯を炊くと、太陽が0.105グラム軽くなって、その分だけ熱が発生する(実際には、15グラムだけではあまりにも軽すぎて太陽として燃えないのであるが、核融合のスケールを知るのが目的なのでご愛嬌)。その0.105グラムから発生する熱は、
の式でもとまり、答えは22億5千800キロカロリー(2,258,000,000キロカロリー)となる。ご飯を1合炊くのに必要な160キロカロリーで割れば、朝昼晩と1合ずつ食べて、人生80年生きるとして、人生161回分のご飯が炊けるのである!


地球の33万倍も重い太陽がこれだけ激しく燃えているのだから、161回分の人生をかけて歩かないと到達しないほど遠く離れた太陽から届く熱が、まるですぐ傍らで燃える焚き火のように暖かく感じられることが納得できる。

しかし、15グラムの太陽で炊けるご飯が、人生161回分。そして太陽までの距離が人生161回分!もしかして、何か新しい物理法則を発見したのか!なわけがない、ただの偶然……。

そして、ウランの核分裂反応よりも太陽の核融合反応の方が、約7倍のご飯が炊けることも分かる。

もし核融合炉が完成したら、燃料の重水素は海に無尽蔵に存在する。原子力発電所で使われるウランのように、100年以内に使い果たしてしまうというような心配がなくなる。もし核融合炉が完成したら、原子力発電所が持つどんなに技術が進んでも拭い去ることのできない不安感が払拭される。なぜならば、核融合は高温と高圧力を維持しないと反応が続かないので、もし核融合炉が壊れても反応がストップするだけで暴走することがない。原子力発電所の、暴走した核燃料が地面を溶かしてアメリカから地球の反対側にある中国まで落ちていくという、チャイナ・シンドロームのような揶揄がなくなる。もし核融合炉が完成したら、生成される放射性物質も、原子力発電所と比較すれば遥かに弱い。まさに夢の技術なのであるが、やはりミニ太陽を人工的に地球上で再現するのはとても難しいのである。もし完成することがあれば、人間の精神は神もしくは宇宙の神秘といわれる領域に近づくのかもしれない。