2019/09/26

小動物が落ちる排水路

蛇、ウサギ等々の小動物が、落ちた排水路から脱出できずに溺死しているという事故が。写真に写っているのは、登りたくても登れない狸かアライグマかの壁に残された不安げな足跡。問題提起した住民と市と大学が一緒になって、動物転落防止ネットの設置作業をしました。

小中学校周辺が大雨で冠水するため排水路を設置したのだが、設計時にこのような状況になることを予想できなかったとのことで、各々が良かれと思うことを各々の立場で努力した状況での一つの落とし穴だったみたいです。

改めて考えさせられます。人間は地球のリーダーとしてあらゆる「矛盾」を認識していなければならず、その為に事例の共有は大切だなと。




風味の移り変わりも楽しい

数日前にバーナーと網を使って外で焙煎したエチオピアだが、焙煎から一日二日と日が経つにつれ、酸味が抜けてきて、かつコクが増してきた。また異なるうまさを味わっている。実は焙煎直後はまだ落ち着いておらず、二三日後から飲む(出荷)のがよろしいということにはなっているのだが、そんなことには囚われずに、自分で焙煎したものをその場でその情景ごと楽しみ、また後日風味の移り変わりも楽しんで欲しい。

http://yamadaryotacoffee.com


2019/09/19

アウトドアで珈琲豆を焙煎

アウトドアで珈琲豆を焙煎しました。

市販されている胡麻を焙煎するための手持ち煎り網と、アウトドア用のガスバーナーを使います。今回の豆はエチオピアを使いました。外は風があるので炎が揺れ(熱の当たり方が揺れる)、またそもそも手持ちの煎り網なので、焙煎の進み具合にムラが生じて浅煎りから深煎りまで混ざったものとなりますが、それでも焙煎仕立であり、外で飲む気持ちよさがあり、また自分で焙煎した面白さが加わるので、とても美味しい珈琲でした。深煎りを通り越して焦げた豆ができるのを防ぐために、全体的には浅煎りとなり、酸味の効いた爽やかな珈琲となりました。

Trying to eat acorn of クヌギ

Trying to eat acorn of クヌギ with interesting to Japanese ancient people 縄文人. My strategy to remove tannin from it is just to immerse it into water, keep in refrigerator and wait for maybe a half year. Maybe I can eat. きっと食えるだろうその日を楽しみに。





3日ほどでここまでタンニンが抜け、焦げ茶色から薄茶色へ。


2019/09/17

We can abandon whole defense facilities in the world

In the past, Japan has a civilization who didn’t have self defense facilities (Yoshinori Yasuda, 縄文文明の環境, p. 164) and had continued for 10,000 years, the longest civilization in the world; Jomon civilization. In the current era that we share great experiences of past human history, I believe we can abandon whole defense facilities in the world. I hope Japan will lead it with the constitution, or don’t mind if an other country will do and makes Japan be ashamed.

2019/09/15

人間はゴミを捨てる動物である。そこに善悪はない。環境を守るということは一つ高度な理性だ。

城西大学の学生、OB、先生達と高麗川の川掃除。台風で上流から押し流されて来たゴミが、いつもの5倍ほど河岸の植物に絡め取られていた。

以下徒然に思いつくままの、高麗川かわガールとは関係のない個人的な駄文。

高麗川上流は地域との親和性が高く、常に多くの中高生、働きに「来てくれた」外国人、家族連れ、社会人で河原が賑わっている。よい里山だ。またその結果としてのゴミも生まれている。

考えるに人間はゴミを捨てる動物だ。

動物はゴミを捨てる。いやそもそも動物が捨てる物は全て他の動植物にとっての食料であるからして、動物にゴミという概念は必要ない。だから人間も生まれながらにして、悪気も何もなくゴミを捨てる動物である。そこには何も善悪はない。

ここで一つ気付いたことがある。毎年新たな赤ん坊が世に生まれ、毎年新たな子供や外国人が高麗川のコミュニティに加わってくる。

環境問題を頻繁に口にする人も多いが、それを見聞きした人の中には、「もう充分に分かっているよ。そう頻繁に聞かされるとちょっと重いなー」と、意識の裏の何処かで感じている人も少なくないのではなかろうか。だけれどもそうか、人間は生まれたままではゴミを捨てる動物であり、毎年誕生してくる新たな参加者に知恵を伝えていく必要があるのだな。そういう視点に立てば、社会全体が少し口うるさいぐらいにならないといけないのかも知れぬ。(人間は執着する動物でもあるので、客観性を忘れて環境問題の中毒になってもこれまたイカンのだが)

世界には色々な祭りがある。秋の豊穣を祝う祭りでは、自然に対する感謝を、自然との共生を心に思う。毎年毎年格式高いキチンとした儀礼に則って繰り返し体感しないと、生まれてくる者にその知恵は芽生えないし、大人でもまた忘れてしまうのだろう。しかし少なくとも一万年は続いたその習慣が、ここわずか五十年あまりの短期間で絶滅しかかっている。

色々な名の祝日を国は設定してきたが、緑の日、海の日、山の日のような意味がありそうで意味のなさそうな祝日を、もっと目的のはっきりした「地球環境に感謝する祭りの祝日」などに変えてはどうか。何兆円もスポーツイベントに国家予算を使うのだから、数百億円でもよいから全国一斉の祭典にしたらどうか。

そんなの子供だましだって?そうかな。伝統的な地方の祭りと同じように多額の予算を用意して(地域の人は祭りのために労務やお金を持ち寄るのである)、それを経済を回す為ではなく、しっかりと決められた儀礼をとり行い、踊り食べ飲んで祭りとして全員参加で楽しむために使う。楽しみながら意識に植え込む。庶民レベルで。

人間は頭が良いと驕ってはならない。国連が世界環境デーだと言えば、馬鹿にせず、ふむふむと考えるでしょ。きっと世界は感心して追従するよ。

人間はゴミを捨てる動物である。そこに善悪はない。環境を守るということは一つ高度な理性だ。

2019/09/01

メジナが釣れた

横須賀の大津漁港で釣りです。26センチのメジナが釣れました。

刺身にしましたがとても美味しかったです。磯臭さはなかったですね。

Fished a foot long Girella, and made sashimi. It's a one of delicious scene in Japan.