2019/09/19

アウトドアで珈琲豆を焙煎

アウトドアで珈琲豆を焙煎しました。

市販されている胡麻を焙煎するための手持ち煎り網と、アウトドア用のガスバーナーを使います。今回の豆はエチオピアを使いました。外は風があるので炎が揺れ(熱の当たり方が揺れる)、またそもそも手持ちの煎り網なので、焙煎の進み具合にムラが生じて浅煎りから深煎りまで混ざったものとなりますが、それでも焙煎仕立であり、外で飲む気持ちよさがあり、また自分で焙煎した面白さが加わるので、とても美味しい珈琲でした。深煎りを通り越して焦げた豆ができるのを防ぐために、全体的には浅煎りとなり、酸味の効いた爽やかな珈琲となりました。

Trying to eat acorn of クヌギ

Trying to eat acorn of クヌギ with interesting to Japanese ancient people 縄文人. My strategy to remove tannin from it is just to immerse it into water, keep in refrigerator and wait for maybe a half year. Maybe I can eat. きっと食えるだろうその日を楽しみに。





3日ほどでここまでタンニンが抜け、焦げ茶色から薄茶色へ。


2019/09/17

We can abandon whole defense facilities in the world

In the past, Japan has a civilization who didn’t have self defense facilities (Yoshinori Yasuda, 縄文文明の環境, p. 164) and had continued for 10,000 years, the longest civilization in the world; Jomon civilization. In the current era that we share great experiences of past human history, I believe we can abandon whole defense facilities in the world. I hope Japan will lead it with the constitution, or don’t mind if an other country will do and makes Japan be ashamed.

2019/09/15

人間はゴミを捨てる動物である。そこに善悪はない。環境を守るということは一つ高度な理性だ。

城西大学の学生、OB、先生達と高麗川の川掃除。台風で上流から押し流されて来たゴミが、いつもの5倍ほど河岸の植物に絡め取られていた。

以下徒然に思いつくままの、高麗川かわガールとは関係のない個人的な駄文。

高麗川上流は地域との親和性が高く、常に多くの中高生、働きに「来てくれた」外国人、家族連れ、社会人で河原が賑わっている。よい里山だ。またその結果としてのゴミも生まれている。

考えるに人間はゴミを捨てる動物だ。

動物はゴミを捨てる。いやそもそも動物が捨てる物は全て他の動植物にとっての食料であるからして、動物にゴミという概念は必要ない。だから人間も生まれながらにして、悪気も何もなくゴミを捨てる動物である。そこには何も善悪はない。

ここで一つ気付いたことがある。毎年新たな赤ん坊が世に生まれ、毎年新たな子供や外国人が高麗川のコミュニティに加わってくる。

環境問題を頻繁に口にする人も多いが、それを見聞きした人の中には、「もう充分に分かっているよ。そう頻繁に聞かされるとちょっと重いなー」と、意識の裏の何処かで感じている人も少なくないのではなかろうか。だけれどもそうか、人間は生まれたままではゴミを捨てる動物であり、毎年誕生してくる新たな参加者に知恵を伝えていく必要があるのだな。そういう視点に立てば、社会全体が少し口うるさいぐらいにならないといけないのかも知れぬ。(人間は執着する動物でもあるので、客観性を忘れて環境問題の中毒になってもこれまたイカンのだが)

世界には色々な祭りがある。秋の豊穣を祝う祭りでは、自然に対する感謝を、自然との共生を心に思う。毎年毎年格式高いキチンとした儀礼に則って繰り返し体感しないと、生まれてくる者にその知恵は芽生えないし、大人でもまた忘れてしまうのだろう。しかし少なくとも一万年は続いたその習慣が、ここわずか五十年あまりの短期間で絶滅しかかっている。

色々な名の祝日を国は設定してきたが、緑の日、海の日、山の日のような意味がありそうで意味のなさそうな祝日を、もっと目的のはっきりした「地球環境に感謝する祭りの祝日」などに変えてはどうか。何兆円もスポーツイベントに国家予算を使うのだから、数百億円でもよいから全国一斉の祭典にしたらどうか。

そんなの子供だましだって?そうかな。伝統的な地方の祭りと同じように多額の予算を用意して(地域の人は祭りのために労務やお金を持ち寄るのである)、それを経済を回す為ではなく、しっかりと決められた儀礼をとり行い、踊り食べ飲んで祭りとして全員参加で楽しむために使う。楽しみながら意識に植え込む。庶民レベルで。

人間は頭が良いと驕ってはならない。国連が世界環境デーだと言えば、馬鹿にせず、ふむふむと考えるでしょ。きっと世界は感心して追従するよ。

人間はゴミを捨てる動物である。そこに善悪はない。環境を守るということは一つ高度な理性だ。

2019/09/01

メジナが釣れた

横須賀の大津漁港で釣りです。26センチのメジナが釣れました。

刺身にしましたがとても美味しかったです。磯臭さはなかったですね。

Fished a foot long Girella, and made sashimi. It's a one of delicious scene in Japan.





2019/08/28

アラスカの原野の視点から


今まで写真展や大学などで話したことの、一つの側面。

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『アラスカの原野の視点から』

神経細胞の複雑な塊である人間の脳は、新築ではない。進化が40億年かけて増改築してきた、壮大な超高層バラックである。ある目的の為に専用設計されたわけではない。それが故に、誰もが精神の葛藤という非効率的な情報処理を日常経験する。

情動の脳も理性の脳も、どちらも欠かすことのできない存在であり、両者のバランスが程よく保たれている必要がある。人生とは、高度な訓練を必要とする、バランス棒を使った渓谷上の綱渡りである。

残念ながらもそのバランスはとても崩れやすい。我々の脳は、情動の回路が活性化すると、理性の回路は止まってしまう。激しい感情に一度押し流されれば、理性の私は回路自体が停止するので、もはや思い出されることもない。石器を握っていた昔はその方が生存に有利であったのだろう。

はるかな紀元前から、理性による情動のコントロールは語られてきた。しかし今その事を教える学校や親や社会はなく、その訓練は本人の偶然による経験が与えるだけで、その概念自体がすっぽりと抜け落ちているように見える。日本のみならず多くの国々で。人格、高尚な精神うんぬん、そのような言葉はほぼ聞かない。

個人の集まりである国家というものも、その構成要素である個人と同様の反応をする集合的な生き物であると捉えてみれば、いまどこの国家も、恐れという情動に支配され、理性の機能不全に陥っていると捉えられるのではなかろうか。環境破壊、食糧難、経済崩壊(死)への恐れや、他国(他者)への恐れ。そして恐れを覆い隠す国家発展というアドレナリン。それでは自然淘汰と不可分な動物の生態反応のままである。

ホモ・サピエンスの心には、情動も不可欠であり、理性も不可欠である。恐れや楽しみ、利他心や探求心。そしてそれらのバランスを取るのにまず最低限必要なのは、自己認識だ。個人としても国家としても。汝を知る。意識を意識する。

人間がいない動植物しか見ない原野は、己の情動を見るにしても、人間の集団を外から見るにしても、自己認識にとって格好の場所である。

人間だけが授かった高度な自己認識の能力。人間だけが授かった高度な過去現在未来と時間的に広い、また地域国世界宇宙と空間的に広い視野。人類のいく末は、個人が集合した大きな生命体として、企業という国家という地球という区切りの生命体として、存分にその授かった能力を発揮できるかどうかにかかってる。

2019/08/26

ゆりの木団地夏祭りの第九合唱団

池田開渡率いるゆりの木団地夏祭りの第九合唱団。団地自治会の祭りでここまでハイレベルなのは、全国でも有数なのではないかな。この日は団地広場の小さな渓谷に、埋め尽くす人々の情熱で上昇気流が。毎年やるのでお勧め!


2019/08/23

オイカワ

狩りに出かけよう
オイカワを釣ろう
天ぷらにしよう
うまさを堪能しよう
人間の勉強をしよう