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2016/02/28

高麗川の天然鮎



高麗川の天然鮎。
里川の清流と、渓流の匠・戸門秀雄さん(郷土料理ともん)の共同作品。
油絵のように美しくて、食べられない!

A beautiful sweet-fish, Ayu of the Koma River.

It is freshwater fish inhabiting in mainly Japan. It smells sweet naturally, and is very delicious.

2015/11/19

紅葉の高麗川


I'm staying beside beautiful Koma River in autumn.
新井橋麓の風景です。昨日の雨で水嵩も増し、紅葉もきれいです。

2015/11/09

高麗川遊歩道工事、時代とのギャップ

 埼玉県の高麗川で、遊歩道の大規模な建設工事が始まろうとしています。

 先月、北海道の別寒辺牛(ベカンベウシ)川をカヌーで下ってきました。映像の最後を見てください。『倒木が川を塞いで』おり、カヌーは通れません。
 これが川本来の姿です。この状態でなければ、生態系は維持されません。


 この状態にまで自然を戻そう、という極論を述べたいのではありません。川の生態系というものを理解するためです。

 高麗川と別寒辺牛川では地理的条件が異なりますが、ここから生態系を学習することに無理はありません。

 高麗川に、観光目的のコンクリートで固められた遊歩道を造れば、何が起きるでしょうか。
 生態系にとどまりません。水までも臭くなります。

 この川が流れる湿地は、ラムサール条約で保護されています。ラムサール条約の目的をご存知でしょうか。『動植物の保護』ではありません。湿地の『賢明な利用』です。生態系を維持しつつ、『そこから得られる恵みを人間が持続的に活用』することです。

 ラムサール条約の発効は1975年。日高市と埼玉県は、『世界の流れから40年も遅れた政治をしている』と言えるのではないでしょうか。

 日高市は、「カワセミの生息する清流高麗川」をうたい文句としているのですが、みずから壊れていかないことを願います。 

2015/09/30

高麗川に遊歩道の大規模土木工事が……

 高麗川を海までカヌーで下ったばかりだが、その中でも自然が一番豊かな区間(  http://ufootprint.umiack.com/?map=y&id=19gp3u9to5xs9lnf&ll=6&ms=3&tr=y )に、三億円かけて川沿いの遊歩道を作るらしい……この方たちの情報が( http://komagawa.link/ )ソースだ。発起人の一人を知っているが、ぼくとつな好人物である。

 僕は作る側の声も、守る側の声も、直接には聞いていない。ほんとうはしっかりと状況を把握してから意見を言うべきだが、この工事は根耳に水だそうで、どうやらもう来月には始まってしまうらしい。時間がない。なので、おそらく数えるほどしかいない、この川をカヌーで下った人間の視点から、率直な意見を書いてみたい。僕は生物学者ではないが、少なくとも現場で、山川草木鳥獣虫魚により近いカヌーの視点からこの川を観察しているのだから、臆していてもしかたがない。
 
 高麗川は里川である。人と自然が関わり合いながら川と触れ合う場所だ。しかしながら、この大規模な土木工事は、人と自然の共存という領域を大きく踏み外しているように思える。以下のステップで工事をするらしい。
・まず重機が河原に入れる道を確保するため、河原を整備する。
・河床を一回重機で掘り下げ、川筋を清流(地名)側によせる。
・掘った砂利を栗坪側に積み上げてできた土手を清流橋上流は石積み工法、下流はストーンネット工法、コンクリートで土台を固め上部に幅2mの遊歩道をつくる。

 日高市はシンボルとしてカワセミを掲げている。なんとも皮肉な話だが、日高市は、この区間におそらく両手で数えるぐらいしか生息していないそのカワセミを(カヌーが近づけばカワセミは下流へと飛んで逃げる。川を下るカヌーがそのカワセミに追いつけば、また下流へと飛んで逃げる。カヌーで川を下れば生息数の、一桁違っていたとしても大雑把な目安が掴めるものと思われるが、この区間で見かけたカワセミの数といえば、たかだか二匹であった)、自らの手で殺すのだろうか。殺す、という表現は過激に聞こえるが、それが客観的な言葉のように僕には思われる。カワセミの視点に立ってみれば、住む場所と食事を奪われて(人間から一定の距離を保てる巣穴の土地と、人間から一定の距離を保って小魚を狙える枝や岩)、引っ越し先もないという状況なのだ(川しかないだ。住む場所は。しかもカワセミの縄張りはとても広い)。もし彼らが言葉を話せれば、「お願いです。助けてください。殺さないでください」と言いたいはずだ。
 そして生物はカワセミだけではない。

 この大規模な土木工事は、自然と人間の共生、ではなく、人間の無知、ではないかと思えてしまう。言い過ぎだろうか。人間側のメリット、というものがあまり思い当たらないのだ。遊歩道により人が楽しもうとしている自然を、そもそも壊すのだから。
 高麗川だけではない。日本のあちらこちらで繰り返されている問題だ。それを僕は、自然のディズニーランド化、と捉えている。人は快適な環境で楽しみたいのだ。それが人間の本質だ。しかしレールに沿って動くカートに乗り電気仕掛けの動物を見たところで、いったい心が和むのだろうか。人間は自分自身をもっと理解しなければならない。

 善と悪の両極に分けて考える善悪二元論は避けたい。人間一人一人を見れば、他人や社会や自然を尊重しながら、ささやかな幸せを求めて生きている、善良な隣人だ。しかし、そんな個人が集まって社会という集団を形成すると、個人の思考と行動からは推察することができない、創発という新たな次元の性質がそこに現れる。それを目の当たりにすると、「愛しき人間の愛しき喜劇だなぁ」と、しみじみした思いに浸り、川へと出かけて夕日を眺めたくなってくる。



2015/09/21

高麗川遊び







 高麗川繋がりの真野先生、松本先生、映像制作されている平野さんと、朝から高麗川で投網とカヌー三昧。
 投網が初めての僕は真野さん、松本さんから丁寧に教わったおかげで、投げた網が丸い輪となって水面へと落ちるようになった。
 そして初鮎!二匹が網にかかった時の感動と言ったら!うっとりするキュウリのような良い香りと、眺めて惚れ込む美しい体の鮎。
 もうこれは病みつきになりそうである。遊んで楽しい、食べて美味しい。毎朝網を投げても足りぬだろう。はたして鮎が網にかかったのか、自分が網にかかったのか。
 鮎は炊き込みご飯にしていただいた。上品な上品なこのうえなく上品な香りと味。骨はとても柔らかく、頭ごとすべて味わえる。
 そして投網の次はカヌー遊び!湧き水のポイントを探して高麗川を下る。水量も多く水も澄んでいて、高麗川下りには最高の条件。
 今日は秋の大型連休。高麗川の河原は川遊びの家族で賑わっている。そこへじゃばじゃばじゃばと川を歩いて突然上流から現れた男四人。ばしゃんばしゃんばしゃんと網を川面に投げ、キラキラした魚を取りながら通りゆく。釣り糸を垂れた十歳の男の子が目を丸くして驚き、網で小エビを獲ろうとしているお父さんが慌てふためいて溺れかけ、水中眼鏡で水を覗き込む犬がモリを投げ出す。
 魚獲って、潜って、漕いで、大の大人四人が子供のように歓声を上げ、満面の笑顔で時を忘れて川遊び。
I enjoyed the first-time cast net in the river, and caught two seetfishes!