2015/10/20

自然に対する畏怖の念





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 いま風が止み、湿原の夜は静かだ。物音がない。すると無意識のざわめきが浮き上がりだす。あなたという意識の実体は、無意識下で行われる概念化の終わる事なき回転だ。人は外界をありのままに感じているのではない。すでに組み込まれた、または生まれてから学習した概念として外界を認識している。今、音のない湿原で浮き彫りになった雑音にすら、休止することのできない概念化は、コーランのような音を当てはめている。
 私とは概念化であり、またそれを見いだす私を知ることが、次なる私へといく道だ。

 未知の発見が毎日ある幸せ。太陽の光がぽかぽかと暖かい幸せ。太陽が毎日昇る幸せ。夕焼けを毎日眺められる幸せ。陽光が生み出す陰影に感動する幸せ。天の川に宇宙を思う幸せ。月の満ち欠けに神秘を感じる幸せ。テントの壁が冷たい夜風から守ってくれる幸せ。テントの屋根が冷たい雨から守ってくれる幸せ。凍える夜を寝袋にくるまって暖かく寝れる幸せ。焚き火が冷えた体を暖めてくれる幸せ。焚き火が暗闇にうごめく動物から守ってくれる幸せ。焚き火をただ眺めている幸せ。小鳥が朝の歌で起こしてくれる幸せ。動物に巡り会える幸せ。川の生物が美味しい食べ物となってくれる幸せ。秋の色彩が心を感動させてくれる幸せ。そして不平という思いが気づけばなくなっている幸せ。

 静かに座って外と内に意識を傾けると、心は自然に畏怖を感じて、周囲を常に探っているのが見えてくる。雨風の音を敏感に読みとり、動物の気配を敏感に察知する。無意識下の自然な緊張感。幸せと恐れは表裏一体だ。自然に対する畏怖が、また幸せを呼ぶのだろう。

 自然に対する畏怖の念。それを取り戻さなければならない。

 午前二時半、テント内気温氷点下二度。


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