I will not be able to reply to your comment during this journey, and this area doesn't have an enough strength of cellular radio wave to post every day, but I will try to post. So enjoy wilderness pictures!
2015/10/09
I am going to kayak
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ベカンベウシ川下りを追いかけて下さっている方へ
また、「読んで面白い文章はハラハラドキドキする冒険調だが、それは親しい間柄の人間にとっては心配でたまらない」とか、「こういうことをするのに事後報告ではなく生中継とはいかがなものか」など色々考えるべきことがあり、事実考え続けていますが、時代が急速に変容するなかで答えが何処かに示されているはずがなく、なかば実験的におこない経験するしかないので、どうかご了承を。
2015/10/08
道しるべ
今朝の森は風に吹かれてざわつくものの、やはり静かに存在していた。大木に絡みつくツタの葉は赤く紅葉し、ホオノキの葉は地面に広がり、山栗は転がり、蝦夷リスは木の実をくわえて幹を登る。冷たい空気の匂いを吸い込んだ。
明日厚岸へと移動する。
大型台風が北海道沖を通過しつつある。
自然と対峙する。そこには美と学びがある。そしてリスクがある。
リスクは冒険と表裏一体だ。その行動を観る側にとっては、リスクは憂いに繋がる。そして冒険は勇気に繋がる。では憂いを避け一人で完結するために一匹狼として行動するか、それとも他者と勇気を共有するために社会と関わりながら行動するか。だが実際にはそれら両極端の中間でしか行動できそうにもない。
情報に翻弄されすぎると、自分と自然と社会を見失ってしまう。自分と自然と社会を知るには、情報に執着せず、感覚を磨いて外界を自分で感じ取る必要がある。犬が草の匂いを嗅ぐように。
さてはて、それでは空を見上げて自分で匂いを嗅ごうか、それとも情報機器を持ち歩き常に最新の情報収集に努めようか。台風情報の正確さにおいては自分の鼻に勝ち目はなさそうだ。人工衛星の目には、スーパーコンピューターの演算力にはかなわない。
情報化社会において情報にアクセスしない。またはアクセスできぬ場所に行く。何かことが起これば物議を醸し出し、日本の社会から批判を浴びる可能性はとても高い。
実際にはここにおいてもそれら両極端の中間、情報と感覚の中間においてしか行動できそうにもないが、しかしそれでも発信されている全ての情報を求めなかったことに対して、常識という名のもとに議論が起きるのだろう。覚悟しておく必要がありそうだ。
いったいこの漠然とした平原を、それでも来た方向にだけは迷い戻ることなく進むために、何を道しるべとして目指せばよいのだろう。強さを増してきた雨と風に吹かれながら考えた。
自然に敬意を払い、恐れず、社会に敬意を払い、恐れず、自分を賛美せず、否定せず。
それが方位を示す小さな光ではなかろうか。
2015/10/07
運命の出会い
昨夜は親友である健太郎の自宅に招かれて、札幌一と評判の高い寿司をご馳走になる。久しぶりに食べる大好物の寿司が舌の上でとろけた。
健太郎との運命の出会いの場所はベカンベウシ川だった。川の神に導かれた、としかいいようがない。当時の彼は大学院でベカンベウシ川に生息するイトウの研究をしていた。フィールド調査では、誰もカヌーなどすることがない倒木だらけの中流と上流にカヌーを浮かべて、イトウに埋め込んだ発信器を追っていた。僕は僕で原始の川を求めて、誰もカヌーなどすることのないこの川に、やはりカヌーを浮かべていた。そんな二人が出くわしたのだ。意気投合しないわけがない。
二人ともなにか世間とは少し異なる世界を生きていて、大陸を離れそれぞれ別の海を航海していたが、久しぶりに同じ港に船を停泊させ、今まで見てきた海や島の話を熱く語り合った。昨夜はそんな表現があっていたように思う。
森の中は静かだ。ときたま動物が枯れ枝を折る音が響くだけである。とても明日になれば台風の強風が吹き荒れるなどとは思えない。
昔の人は、目を持ち渦を巻く風の固まりが熱帯地方で発生し日本へと北上してきたことなど、知る由もない。何かの理由で空が突然お怒りになり牙をむいた、と思うしかなかったに違いない。いつなんどきお怒りになるか分からぬので、常に自然に深く耳を傾け、注意深く観察していたことだろう。
そう、この世は生き生きとした味のある世界なのだ。
2015/10/06
生きている川
ベカンベウシ川をカヌーで下るため、北海道へ向かう飛行機に乗っている。みな足下からお洒落な格好できめているが、俺一人だけ長靴といういでたちだ。バックは飾り気などいっさいないブルーの汚れた防水ザック。手には牛皮のどかたグローブ。
ベカンベウシとはアイヌ言で、菱の実の集まる場所、という意味だ。秋の実なので、もしかしたら収穫できるのだろうか。茹でるとホクホクしておいしいらしい。
まだこの川は、蕗の薹や行者ニンニクが芽吹き、時折雪が降り積もる早春しか下ったことがない。秋の様子はまったく知らない。だがその土地でこれから起こるであろう出来事を、地名から想像できるというのも面白いものだ。ワクワクする。川に繋がった、春は水芭蕉が咲いている広い沼があるので、またそこにカヌーで入ろう。もしかしたら菱が生えているかもしれない。カヌーを水に浮かせたまま、菱の茎を水中からたぐり寄せて、忍者が蒔くマキビシのような形をした実を収穫するのだ。そのまま茹でて食べてもよいし、玄米を使って炊き込みご飯にしてもきっと美味しいに違いない。楽しい想像がぽんぽんと膨らんできた。
ベカンベウシ川は、日本最後の原始の川だ。
上流から下流まで手付かずであり、そしてテントを張り焚き火をしながらカヌーで旅をするだけの十分な長さがある。
「生きている」川である。川そのものが命を持っている。自由自在に思うがままに蛇行を繰り返し、毎年その姿を変えながら生命を謳歌している。そして龍神が宿った川には幻の魚イトウが住んでいる。